社会人になったら、会社が用意してくれたワンルームマンション。あとは実家、台湾では誰かが借りている家にシェアして置いてもらっていたので、私にとって初めての借家賃貸契約はあの時だった。
約束の時間になると、気のいい大家さんが日に焼けた黒い顔に白い歯を見せて現われた。
幹線道路沿いの不動産屋で、記念すべき賃貸契約式は抜かりなく執り行われ、あとは引越しの日を待つだけになった。
一回目の留学時代を懐かしく思い出した。そして、今や自分で、中国語で部屋を借りられるようになったことがとても感慨深かった。
会社ではパソコンを教わり、中国語で仕事をした。ローマ字ピンインを入力し変換すると、ずらりとその音にあたる漢字が出て来る。その中から目当ての一字を選びenter。中国語学校で入門、基礎の基礎を学んでいた頃からすると、考えられないほどの上達と言えた。
生まれて初めて部屋を借りた。それも、この愛しい台湾で。
妹女史たちとの別れはつらかったが、私は台北で生きて行くたしかな手ごたえを感じていた。
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