だが、実際に現地の人たちと円滑な会話ができるかと言えば、そう簡単に行くわけではなく、肩身の狭い、不自由な暮らしが続いた。
最初困ったのは、バスだった。当時は、次がどこか車内アナウンスや掲示板があるわけでなく、窓外の景色を注視して、ここぞという時に下車予告ボタンを押す。それに、朝のラッシュ時は恐怖に近かった。
ボタンを押せたのはよいにせよ、ギュウギュウに混んだ車内からドア
まで進み、降りるのが骨折りモノで、現地の人は「下車!」(シャーチャー、降ります、の意味)ときれいな発音で叫び、事無きを得たが、私は自信のない発音で大声を出す勇気もなく、実にプレッシャー
とストレスを感じる日々だった。
買物に行って、店員さんに何か訊ねたくても、文章がうまく組み立てられなかったり、四声が曖昧であきらめたりするのはしょっちゅうで、あらかじめ想定できる時にはメモに書いて持ち歩いたりした。卑下せず、照れず、ぶつかればもっと速く上達したかもしれないが、初めのうちは引っ込み思案な自分に甘んじていた。