初めから店を構えることは考えず、自分が制作可能なレシピリストを作り、それをレストランやカフェなどに試食してもらう。君の味を気に入ったところの場所を借りて売ってもらう、いわゆる卸商形式からスタートする方がリスクは少ない。話を詰めて、合意できれば、僕はいくらか出資させてもらうよ。
リーは慎重な性格だったし、一応アメリカでのMBA取得者、まあその考えはわからなくもないが、家庭と家計を守るパートナーとしては、とにかくやめてほしかった。すでに台北と日本に家があり、日本の方は若い者の手が必要な時期に差しかかっているのだから、なぜ今上海なのか、新天地に赴く気分にはなれなかった。
上海と言えば、海沿いの瀟洒な国際都市という図が浮かぶかもしれないが、上海全体があれほど近代的で美しいわけではないと聞く。
そういうデータやら、馴染んだ台湾の風土からも、暮らすなら台北か日本の実家の方がずっと好ましかったのである。
リーの承諾の下、私は日本で食べていく方策を練っていた。餃子や包子など点心の立派なレシピ本を購入し、家で試作して、料理教室開講構想を膨らませていたのはあの頃であった。