私は娘たちと日本語で話すようにしていたが、ランは私の日本語にすべて中国語で応えるようになっていた。
「ママには日本語で話しなさい。じゃないとじーちゃんばーちゃんたちとお話できなくなるよ。」
と言い聞かせ、彼女もやってみようとするのだが、なかなか日本語が口をついて出ず、つらそうだ。
あまりにしんどそうなのであきらめてしまったが、メイは家で私といる時間が長い分まだマシだったものの、姉と遊ぶ時間が多いゆえ、メイの中国語もどんどん上達していった。複雑な心境であった。
さあ、春到来。
3月下旬ともなると台北は25度を超える日も増えて、いわゆる「春」という感じでもないのだが、NHKでは『おかあさんといっしょ』の歌のお兄さんお姉さんが新しい人にかわったり、春の選抜高校野球大会準決勝以上の試合が中継されたりするおかげで、日本人として馴染み深い春を少しは味わえた。
だが、人生の春は寄って来なかった。
リーは4月いっぱいで破産しそうな会社を辞め、しばらく上海へ行くと宣言。失業状態に安住することをさほど気に病んでいない様子にも不安や不満は募った。
日本移住への具体策も立たず、春ながら心は沈んでいた。