「救急車呼んだ方がいい?」
とリーに訊いたが、その必要はないと言う。
だが、まるで別個の生き物のように化した右足の発作がだいたい治まった後も、あまりに強烈な痛みのためか、しばらく吐き気が続き、痛みの後遺症は数日間消えなかった。
こむら返りが慢性にならないか、またあの激痛が来るのではないかとしばらくびくびくして暮らした。NHKのためしてガッテンでこむら返り特集があり、なる人はしょっちゅうなり、特に明け方に多く起こるなどとも言っていた。
3月半ばを過ぎ、台北で20度を切ると肌寒く感じる季節になった。
3月21日、メイを連れ、自宅から徒歩10分ほどの日本で言うJAみたいな団体が経営するスーパーに行くと、「馬英九」の小旗を持った人たちが道路沿いにたくさん群がっている。私にも「11時前に馬英九がここを通るからあなたも声援を送らない?」と声をかけられ、その旗を手渡された。
時計を見ると10時半頃、メイに説明すると彼女も「まーいんじょう、見たい!」と言うので、沿道で待つことにする。
すぐ横に銀行があるのだが、中を見ると行員たちも席から立ち上がり外をうかがっているし、メイを見つけ、キャンデイをくれたりあやしたり。和気藹々な空気が一帯に流れた。
長く感じたが、25分くらい待ったところで、前後に何台ものガードや選挙活動カーに囲まれ、次期総統候補・馬英九が車が角を曲がって向かって来た。彼は手を差し伸べ、支援者に笑顔で応える。私もその手を求め手を伸ばした。だが、馬英九の手だったか、隣りにいた活動員のものだったか定かでないのが残念でならなかった。
翌22日(土)が投票日であった。リーは朝さっそく投票に出かけた
この時の選挙ほど、台湾で選挙権がないことを恨んだことはなかった。