それから、そこで働き、ミサにも与る50歳の何姐や神父さまたちとの交遊が始まり、カトリック高校卒の私には然るべき姿のように映った
神戸出身の日本人シスターとのご縁もいただいた。
ところが、私はずっと自分を赦せずにいた。そのトラウマから脱却できず、さまよっていた。それで般若心経に関する著書など仏教書に救いを求めた。それでも飽き足らず、とうとう故郷の菩提寺のご住職さまを訪ねることになったのである。
手紙でも、そのアジサイの寺でも、私はトラウマのもとになった事の詳細を打ち明ける勇気は起きなかったが、例を挙げてご住職さまに質問した。カトリックに寄り添う人々は皆「罪は赦される」と口をそろえた。仏教ではどうなのか。それが最も気になる点であった。
「一生、罪は消えません。」
それが、ご住職さまの答えだった。
懺悔はできる、罪滅ぼしに何か人や社会のために働く心がけは良い、
されど、罪は消えない、と。
そのひと言を聞いた途端、私の涙はこらえきれずポトポト落ちた。
いちばん怖れていたことなのに、一方で、ずっとそう言われることを待っていたような気もした。そして、何かが終わり、ほんとうの人生が始まったような気がした。