そもそもリーとの間で日本移住話が出るようになったのも、私がひとりっこである所以だ。リーは昭和に換算すると41年生まれだが、その年齢だからか、その年齢にしてはと言えばよいのか、年長者をとても敬い、家族を大事にする観念が強い。台湾に生まれたからか、中国人だから然り、とも言えない。よって、それはリーの長所の一つだろうと思う。私の日本の両親がだんだん年老い、いずれ若夫婦の手を借りることになるだろうことはリーにも明らかで、それゆえ日本移住は彼にとって懸案でもあったのだ。たしかに、リーの農業酪農志願にはまいったが、日本での活路を真剣に考えてくれること自体はとても感謝に値することであった。
この物語もどんどん現在に近づいてきて、私自身力が入っている。
早く「今」に追いついてほしいと毎朝更新している次第である。
さて、この年の日本一時帰国は6月14日だった。前年リーが花粉症で苦しんだため、時期を遅らせた。もともとひどいアレルギー体質のリーであり、また台湾には花粉症なるものがないので仕方ない。ラン3歳8ヶ月、メイ2歳5ヶ月の頃だ。
この一時帰国中に私はいわゆる「就活」に励むつもりでいた。私のトシもリーとさほど変わらず、教員免許もない。田舎で女性が安定した収入を得やすいのは教員や看護師などで、珠算や普通自動車免許に英検くらいしか履歴書に書けない私の苦戦はだいたい予想できたが、希望は抱いていたものである。
posted by マダム スン at 05:09|
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家運低迷期突入す
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