2009年12月11日

会社にお弁当を持って行く習慣がついていたリー、その任務が私に。台湾では外食の方が安いかも。ラン、幼稚園入園間近、担任の老師決まる。

2日前に予約変更し、1日早く台北に帰って来てよかった。
本来飛行機に乗るはずだった翌8月18日は台北に台風襲来、この風雨では着陸困難のため欠航になっていただろうと思う。

私が日本にいた2ヶ月の間に、リーはお弁当を作って出勤する習慣がついていた。これは小遣い節約というより、会社周辺に飲食店がほとんどなく不便だからだ。真夏だと徒歩で往復するだけで満身汗だくにもなると言う。
「私がお弁当入れようか?」
これも妻の務めかと一応訊いてみた。彼は炊事ができる人なので「要らないよ」と答える可能性十分、それならそれで助かるのだが……
「じゃあ、頼むよ。」
私の料理に文句をつけることは日常茶飯事のリー。その返事にうれしいやら困惑するやら。が、仕方ない、やるしかない。会議などの関係で火・水・木のみでいいが、それ以後お弁当作りも家事に加わることになった。外食が安い台湾ゆえ、お弁当の方が高くつく気もするが、食堂がそばにないのだから仕方ない。

台風が去り、8月20日、入園が迫ったランの永華幼稚園へ母娘3人で遊びに行ってみる。ちょうど入園手続をしてくれたクレア老師が私たちを見つけ、「ランちゃんのクラスや教室はもう決まってますよ」と中に案内してくれた。
蜜蜂組、担任はヘレン老師。再度断わっておくが、この幼稚園では先生をすべて英語名で呼ぶことになっていた。ヘレン老師は陳という苗字の二十歳そこそこの若い先生だった。
また、その日、近いうちに入学金と9月分の保育料、そして戸籍謄本を持って来るよう言われる。
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2009年12月10日

日本の8月、娘たち初体験。台湾にはない「庭で花火」を楽しむ。棚経、夏祭り、畑の水遣りも。台風接近、予約変更して17日台北へ飛ぶ。

8月を日本で過ごすのは私にはとても久しぶりで、ランとメイには初めての経験だった。
幼い娘たちは家の庭でする花火が大好きになり、しきりに私や祖父母たちを誘う。「庭で花火」は台湾では絶対見られない光景、日本独特の「文化」だろう。台湾の花火は季節に関係なく、大規模な各種イベントの際の打ち上げ花火や新年のカウントダウンの時くらいだろうか。

梅雨明け後、雨が少なく、畑のトマト、茄子、きゅうりなどに水をやらねばならず、その仕事を娘たちは喜んで手伝ったりもした。
また、8月10日は例のご住職さまが歩いて檀家に棚経のため廻る日で一緒に念仏を聞いたり、お盆恒例のおはぎ作りに参加したりもした。
12日には母の実家へ、14日には村の夏祭りがあり、いずれも娘たちは元気に同行した。

日本への一時帰国も2ヶ月が過ぎ、8月18日に台北行きのチケットを取っていた。
が、台風8号が台湾に接近中。かなり大型の台風で、ちょうど18日頃が危ない様相を呈してきて、航空会社に予約変更を申し入れる。
そして1日早く17日、関空から台湾に飛び立った。あの時はまだ両親が関空まで私たち母娘を送ってくれた。
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2009年12月09日

何を信じるかで人の一生は大きく変わるものと実感。瀬戸内寂聴、玄侑宗久氏などの仏教書を読み続ける日々。水無月祭、船便発送、高校野球甲子園大会、日本の夏を感じる。

再度断わっておくが、私は未だに特定の宗教に安住できずにいる者だが、そのご住職の「罪は一生消えない」の言葉に、この世には様々な観念や教義があるものだと深く感じ入ったものである。単に、カトリック帰依者の「罪は赦される」と比べてもまったく反対の答えが返ってきたのだから混乱すらする。

菩提寺から帰ってしばらくは、やはりなかなか自分の考えを整理できなかった。第三者的に見ても、こう極端な2つの訓えのいずれを取り、我が道しるべにするかで、一生が大きく違って来るようにも思った。
とにかく私はご住職の祖父が著した『修証義通解』という本を4日間で読破し、その後も瀬戸内寂聴・玄侑宗久共著の『あの世 この世』、同じく寂聴さんの『釈迦』などの仏教に関する本を読み続けることになる。

さて、時は7月も下旬になる。横浜から従姉がやってきて10年ぶりの再会を果たしたり、31日は隣り町で水無月祭が行れ、幼い娘たちと星空を見上げながら歩いたり、台湾に帰る頃到着するように一箱分の船便を発送したりする。
また、子育てセンターで二胡演奏を頼まれたり、夏の高校野球甲子園大会が始まったり。台湾では準々決勝以上しかテレビで放送しないので、日本で見る甲子園に感慨深いものがある。
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2009年12月08日

トラウマを抱え、聞きに行ったご住職さまの答え、「罪は一生消えない」に涙する。何かが終わり、新たな挑戦始まる。

もうご記憶から薄れているかもしれないが、2001年2度目の台湾留学を果たして間もない頃、私は台北で思いも寄らぬ試練を味わい、毎日泣き暮らし、台湾人のルームメイトと暮らしていたマンションの隣りにあったカトリック教会にひとり通った。
それから、そこで働き、ミサにも与る50歳の何姐や神父さまたちとの交遊が始まり、カトリック高校卒の私には然るべき姿のように映った
神戸出身の日本人シスターとのご縁もいただいた。

ところが、私はずっと自分を赦せずにいた。そのトラウマから脱却できず、さまよっていた。それで般若心経に関する著書など仏教書に救いを求めた。それでも飽き足らず、とうとう故郷の菩提寺のご住職さまを訪ねることになったのである。

手紙でも、そのアジサイの寺でも、私はトラウマのもとになった事の詳細を打ち明ける勇気は起きなかったが、例を挙げてご住職さまに質問した。カトリックに寄り添う人々は皆「罪は赦される」と口をそろえた。仏教ではどうなのか。それが最も気になる点であった。
「一生、罪は消えません。」
それが、ご住職さまの答えだった。
懺悔はできる、罪滅ぼしに何か人や社会のために働く心がけは良い、
されど、罪は消えない、と。

そのひと言を聞いた途端、私の涙はこらえきれずポトポト落ちた。
いちばん怖れていたことなのに、一方で、ずっとそう言われることを待っていたような気もした。そして、何かが終わり、ほんとうの人生が始まったような気がした。
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2009年12月07日

マウスピースはおあずけ。顎関節症は早めの治療を!仏教書以上の「答え」求め、菩提寺にたどり着く。

目下のところ、顎関節症に対する治療法として主要なものはマウスピースを作ることらしい。なんでもその人に合ったマウスピースを就寝時つけて眠るということは、足に支障のある人が松葉杖をつくのと同じ原理で、その間だけでも顎の負担を軽減できるという。
その結果、多くの人が顎の痛みを抑え、症状の悪化を抑止できる。

だが、日赤というもののここは田舎なせいか、マウスピース作製には車で1時間ほどかかる別の病院まで行かねばならず、必要な日数を聞くと台湾へ帰るまでに間に合いそうにないため、ひどくなったら台北の病院へ行くことにすると伝え、なんら次の予約はせず帰った。

あれが7月半ば。
あの時はあれでよかった。
だが、放って置いたのがいけなかった。約半年後、台湾でえらいことになる。また、その時書くが、顎関節症の疑いがあり、気になりだした方は早めの治療をおススメする。20~40代の女性に最も多い疾患で重症になると大変つらい。

そして、いよいよその2日後、私は車でご住職さまの待つ菩提寺に向かった。よく晴れた爽やかな朝だった。
何度かお目にかかったことがある40代後半のご住職さまは、白いTシャツにグレーのジャージ姿で現われた。
窓外には大輪のアジサイが見え、出していただいた冷えた香ばしい麦茶がおいしい。
仏教書に飽き足らず、私はついに曹洞宗の菩提寺にたどり着いたのだった。
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2009年12月06日

ご住職さまから電話、面談日決まる。母、肋骨骨折。私は初めて顎関節症外来を受診する。

その菩提寺は、我が家から車でさらに奥へ5分あまり入った山里に佇んでいる。それほどの距離しかないにもかかわらず、山の面積がぐっと増えるからか、雪の量がここより多いことはよく知られた話だ。
幼い頃から何度か法事などの際に訪れたことがあるので、長らくご無沙汰であったが容易にその佇まいは目に浮かんだ。

封書を投函してほどなくしたある日、ご住職さまからお電話をもらい
7月20日午前中に会っていただける運びとなった。

それまでの2週間ほどは梅雨や台風の空模様がそのままうちに反映されたようで、母はボランティア活動中、足元が滑って肋骨を折り、私はラン出産後半年くらいから始まった顎関節症の悪化が顕著だったため
最寄りの日赤へ電話で問い合わせ、予約を入れたりしていた。

顎関節症は最近とみによく耳にする疾患で、歯科を受診せねばならない。
だが、歯科は歯科でも専門医を探し、専門的な治療が必要とされる。
日赤によると、月に2回顎関節症専門外来があるとのことだった。
果たして、その日日赤を訪れると女医さんがいろいろ検査をし、症状を聞いてくれた。発症から約3年を経て初めて医者に診せたことになるのだが、それくらい病気の進行はゆっくりしていたということだ。
その時もさほど重症とは感じなかったが、突然口が開かなくなった人の話を聞いたりして怖くなったので、日本にいる間に診てもらう気になったのだ。
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2009年12月05日

酒類の輸出入は高い関税で事実上無理。無念。7月、消えないトラウマに悩む私は、菩提寺のご住職さまに手紙したためる。「会っていただけませんか?」

結論から言うと、日本のお酒を台湾に輸出するリーと私の構想は未だ実現していない。
私は滅法アルコールに弱い方で、コップ1杯でデキアガッテしまう体質だが、昔お酒屋さんでバイトしていたくらいだから「お酒の世界」は大好きだ。リーの描いた夢にものった。
しかし、現実は甘くない。
日本国内でも酒税法などは改正されることがあるが、数年前WTO(世界貿易機関)の法改正で酒類の輸出入時にかかる関税が高くなり、採算を考えれば事実上そのテの商売は不可能に近いものになっていた。
私の知り合いの社長も「そりゃあ、できれば僕の酒が台湾にも渡ってくれたらうれしいけど……」と言い、一応私たちの計画を聞いてくれたが、結局前進できず、残念やら申し訳ないやらで苦い思いが残った。
でも、いつか社長のお酒を台湾に!との淡い夢は不思議と胸を去らない。

7月に入っていた。
さすがに日本もどんどん夏に向かい、気温を上げていた。
私はもう一つ、一時帰国前から描いていた願望を形にする。我が実家の菩提所である寺のご住職さんに手紙をしたためたのだ。封書にする。
父に、宛名書きは何とすればよいのか問うと、
「そら、ご住職様や。」
とのことだったのでそうする。
何度かここでも書いたが、私にはまだどうしても私を解放しないトラウマのような心の痛みを抱え、実生活の不如意も重なって長く親しんだカトリックを離れ仏教書に没頭していた頃であり、書物だけでは理解しがたい点は増え、ぜひ直接話を聞いてみたいと考えるようになっていたのだ。
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2009年12月04日

子育てセンター、まちの子育てひろばに通う。ハローワーク惨敗、厳しい就職事情。リーの日本酒輸入構想、既知の酒蔵社長に電話。

あの年の日本一時帰国も毎日多忙で、盛りだくさんだった。
町の子育てセンターへはまた通わせてもらったし、「まちの子育てひろば」という取り組みが浸透し、各保育園や幼稚園が月に2~4回園を開放し、未就園児とその親の交流の場を提供しているので積極的に娘たちを連れて行ってやった。

また、早々と市のハローワークへも行った。
だが、こちらは完敗。中国語ができる、と言っても、それだけで優遇されるわけではないし、中国人がいる会社や工場でも通訳専門者を雇う余裕はないとのことだった。それもそうだろう。
想像はしていたものの、想像以上の手応えなしにかなり落ち込む。看護師だけはたくさん求人票があるのを見て、複雑な心境になる。
そして、これからは介護やヘルパーの需要は高まるだろうが、あれも体力は要るし、資格も必要だろうし、豊かな人間性と強靭な忍耐力が求められることを考えると、私には務まりそうもない。

それから、リーの命を受けて市内にある酒造会社に電話をかける。
数社あるなかに、以前中国語の関係で知り合いになった酒蔵があり、そこの社長とは面識があった。懐かしい社長の声に和む。
リーは来日するたび日本酒を楽しみ、うまい!と評していた。起業を夢見るリーは、日本のおいしい酒を台湾に輸入できないか、と考えたのだ。
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2009年12月03日

日本のグルメ番組で何度も観た憧れの海産物を舞鶴で。リー滞在中、娘たちはばーちゃんとじゃがいも掘り。夜は蛍。

土曜日で好天ということもあってか、舞鶴・道の駅とれとれセンターは活気づいていた。広い駐車場には各地のナンバーが並び、お昼前には大型観光バスも続々入って来た。ここで昼食兼おみやげ拝見という寸法だろう。
とれとれセンターの周囲にもレストランはあるが、せっかくだからとセンター内で決めることにする。
迷ったあげく、2人とも海産丼にする。大きなウニものっていて感激。

後日談だが、リーは後半かなり苦労してその海産丼を押し込んだらしい。台湾に輸出された日本のグルメ番組で何度も観た海の幸に憧れはあったものの、もともと日本のように海産物を生で食す習慣がほとんどない台湾人にとって、生食の量が許容範囲を超えたのだという。

団体客で混み合う時間帯を避け11時半頃には食べ終わり、点在する各館を見て回る。海産物のみならず、地元農産物や工芸品を販売するコーナーを見つけ、何品か野菜をいただいてから帰途に着いた。東舞鶴まで足を伸ばせば港や赤レンガ倉庫などがあるのだが、娘たちのことも気になり観光はやめ。そうそう、舞鶴は肉じゃが発祥の地というのも聞いたことがある。肉じゃが専門店などあるのだろうか。

その後、リー日本滞在中にはばーちゃんと娘たちが畑に実ったじゃがいも掘りをしたり、夜は飛び交う蛍を眺め、神聖な気分に浸ったりした。
6月20日、リーは先に台湾へ帰って行った。
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2009年12月02日

日本一時帰国の日、近畿地方梅雨入り。リー、父の関西訛りにタジタジ。舞鶴へドライブ、道の駅とれとれセンターで楽しむ。

台北から飛行機に乗っている時間より、空港から実家にたどり着くまでの方が長いが、無事夕方我が家4人はじーちゃんばーちゃんの待つ実家へ。その6月14日はちょうど近畿地方が入梅した日でもあった。
気温22度。
すでに35度近い真夏日のあった台北に比べるととても肌寒く感じる。

あの当時、ランもメイもまだ保育園や幼稚園に行く前で、私が家で守していたため、日本語と中国語は半々くらいだった。よって、日本の祖父母たちともわりと早くコミュニケーションできた。
リーは毎年上達も退化もしない日本語で義理の両親と話している。私の父が話す関西訛りがあまりにひどいと、私に助けを求めた。リーが台湾の大学時代に学んだ標準語とはかなり異なるのはよ〜くわかる。

さて、娘たちがだいぶ成長したため両親に預け、リーをどこかへ連れて行くことにする。リクエストを訊くと、
「海の幸とか漁港なんかがあるところがいい。」
と言う。
うーん………この辺りで言えば……… 
舞鶴だ。京都府舞鶴市が最寄りでふさわしい。
朝9時半、私は助手席にリーを乗せ、北目指しハンドルを握る。
だんだん晴れて26度を超えた。気持ちよいお天気だ。
さすがに漁港へは行かなかったが、道の駅とれとれセンターで新鮮な海産物の昼食をとったり、市場さながらに並べられた海の幸を見て回った。
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2009年12月01日

昭和41年生まれのリーの家族、年長者に対する観念は台湾人特有? 日本移住構想生まれる。リー、花粉症を避け、6月中旬一時帰国。「就活」に意欲。 

そもそもリーとの間で日本移住話が出るようになったのも、私がひとりっこである所以だ。リーは昭和に換算すると41年生まれだが、その年齢だからか、その年齢にしてはと言えばよいのか、年長者をとても敬い、家族を大事にする観念が強い。台湾に生まれたからか、中国人だから然り、とも言えない。よって、それはリーの長所の一つだろうと思う。私の日本の両親がだんだん年老い、いずれ若夫婦の手を借りることになるだろうことはリーにも明らかで、それゆえ日本移住は彼にとって懸案でもあったのだ。たしかに、リーの農業酪農志願にはまいったが、日本での活路を真剣に考えてくれること自体はとても感謝に値することであった。

この物語もどんどん現在に近づいてきて、私自身力が入っている。
早く「今」に追いついてほしいと毎朝更新している次第である。

さて、この年の日本一時帰国は6月14日だった。前年リーが花粉症で苦しんだため、時期を遅らせた。もともとひどいアレルギー体質のリーであり、また台湾には花粉症なるものがないので仕方ない。ラン3歳8ヶ月、メイ2歳5ヶ月の頃だ。
この一時帰国中に私はいわゆる「就活」に励むつもりでいた。私のトシもリーとさほど変わらず、教員免許もない。田舎で女性が安定した収入を得やすいのは教員や看護師などで、珠算や普通自動車免許に英検くらいしか履歴書に書けない私の苦戦はだいたい予想できたが、希望は抱いていたものである。
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