2009年12月31日

メイ、モノもらい治療、メスに大泣き。顔半分包帯、薬3種類。王さんの胃潰瘍療養は1ヶ月以上、その間私はマック通い。台湾で紅白歌合戦、2008年明ける。

私も診てもらったことがある医師はメイのまぶたを見て「麦粒腫」だと診断した。日本で言うモノもらいに相当するものだろうと思う。
これを治すには、切って芯を出さないといけないらしく、どうする?
と訊かれる。
医師の「どうする?」の意図するものが最初解せなかったが、あと1ヶ月3歳に届かないメイ、そのミニ手術に耐えられるか、父親がいる時にするか、ということだとわかる。

リーがいてもいなくても痛さは変わらないのだし、今、お願いしますと言うと、医師は一人看護師さんを呼び、私と一緒にメイが動かないよう押さえてなさいと指示した。

案の定メイは泣きわめいたが仕方ない。顔の半分ほどを覆う包帯をされ、塗り、飲み、目薬の3種類もらって眼科医院を後にする。
4日後再診。それでだいたい治る。

一方、胃潰瘍で手術・入院の王さん。
結局1ヶ月あまり復帰できず、伊巴珈琲はその間ずっと休業のはめになった。近場で座って紅茶やコーヒーがいただけるところと言えばマックしかなく、仕方なく私はその間足繁く最寄りのマックへ通うこととなった。
私も胃潰瘍を患ったことはあるが、手術や入院など不要だった。何でも、王さんはずっと痛みを我慢していたらしく、ひどい状態になっていたそうである。

そんな中、2008年が明けた。NHK国際放送でその年も紅白歌合戦を見てわずかながら日本のお正月を感じ、ふるさとを想う。例によって旧正月を祝う台湾は12月31日まで会社も学校も通常通り、1月1日のみ休みとなるだけであった。
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2009年12月30日

小学校のグラウンドを借り、永華幼稚園運動会開催。伊巴珈琲、数日間シャッター開けず。王さんは胃潰瘍で入院、手術の報に心痛む。メイ、まぶたの異物で眼科受診。

その1週間後、同じ小学校のグラウンドでランの永華幼稚園の運動会が開催された。園児数は100人を超えているので、広いグラウンドを借りても場違いな感じはしない。
ランの幼稚園は大きい方だが、もっと小規模な幼稚園でも広いグラウンドを借りることは多々あることだ。
というのは、台北市内の幼稚園で立派な園庭を持っているところなどほとんどないからだ。いったん台北を離れると、田畑や緑に覆われているのに、台北は人口密集都市なのである。

転校に恵まれ、午前中2時間半の運動会が無事終了した頃、例の自宅前のカフェ・伊巴珈琲が2日ほどシャッターを下ろしている。週末にかかっても開店せず、数日後やっと陳さんだけが店を開けていて、ひとまずホッとして声をかけた。
「王さんが腹痛で救急車で運ばれ、入院したのよ。胃潰瘍が悪化してて手術になったの。ちょうどあの日、私も台中に行ってたし、お店開けられなかったの。」
というのでびっくりした。王さんは当分休養や治療が必要らしかった。心配だし、伊巴珈琲が開かないと本当につらかった。
王さんたちとは気も話も合ったし、喫茶店形式でなくテイクアウトしかないところが多いので座ってくつろげない。また、一般の喫茶店で紅茶などをいただくと3~4倍の値段はするのだ。

王さんの復帰を願いつつ過ごす日々。
もう一つの懸案はメイの目であった。右まぶたに丸いこりこりしたものがあり、長らく治らない。これはおかしい、一度医者に見せた方がいいということになり、私は彼女を眼科に連れて行った。
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2009年12月29日

初めて生で見る、総統選出馬直前の馬英九にうっとり。イベント会場は彼の登場で歓声の渦、最高潮に。国民党候補者そっちのけで盛り上がり、馬英九人気物語る。

その国民党選挙候補者の名前も顔もまったく記憶にないが、とにかく双眼鏡を手に最寄りの公立小学校のグラウンドに急いだ。引っ越さなければ、いずれランとメイが勉強することになる学校であり、また市場へ行く際、時々通り抜けさせてもらう馴染みのグラウンドでもあった。
グラウンドとしてはかなり整備された立派なもので、広さも十分だったが、私たち4人が到着した頃にはすでにかなりの人だかりであった。
入口付近には支持者たちが党首である馬英九や、その地域の候補者の名前入りの帽子や小旗を笑顔で配っており、私たちも喜んでもらい、娘たちも旗をうれしそうに振った。願いを同じくする者の集いという感じで和気藹々、みんな親しげに接し合う温かな空気に包まれている。

さて、候補者の演説などが始まる。
市場側に設けられたステージに向かい、人々は耳を傾ける。
しかしだ。目立ての馬英九はまだ姿を現さない。そわそわ、どきどき
きょろきょろ。娘たちも「まーいんじょうは?」と訊いてくる。まーいんじょう、とは馬英久の中国語による発音だ。

かなり待った。かなり待って、ようやく三つある門の市役所側のところから馬英久が入場!
「馬総統、ニイハオ!」
司会の女性が、まだ総統になっていない彼を早くもそう呼び、歓迎する。場内の観衆が一斉にそちらを向き、歓声を上げる。「待ってました!」、まさにそんな盛り上がりだ。
馬英九がやっとステージにたどり着いた後も興奮は冷めず、いったいこれは誰の選挙イベントかと思う。
「まあ、だいたい馬英九見たさに来てる人ばっかりだろうからね。」
とリーが言うが、本当にそうだろうと思った。
私は初めて生で見る馬英九にうっとり。双眼鏡は大活躍。
テレビで見るよりさらに長身で、声も甘く、マスクも然り。
「見えないよおー」
と小さい娘たちは不満そうだが、私は気もそぞろであった。
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2009年12月28日

台湾の総統をご存知ですか? 現総統・馬英九、当時国民党党首として応援演説にやって来る。近所の小学校は、準備や警備でにぎやか。家族そろって見に行く。

「師走」とは日本独自の12月を指す言葉で、中国語にはない。
それはいいとして、台湾も12月に入った。
8日、土曜日だった。リーが言う。
「今日、そこの小学校に馬英九が来るよ。見に行く?」
日本で台湾の政治や政権について詳しく報道されることは少ないが、今の総統(日本の首相に当たる)は誰かご存知だろうか。
李登輝、陳水扁と来て、現在は国民党の馬英九である。民進党から国民党へ政権移動した画期的な総選挙であった。

さて、この馬英九氏。
台北市長や国民党党首を歴任してきた人だが、長身かつ甘いマスクでかねてから特に女性に人気の高い政治家だった。「有権者が全部女性なら彼が勝つのに」と皮肉られることもあるほどだった。
しかし、ただルックスが良いだけではない。私が大学付属の学校で中国語を学んでいた頃、政治の話になると先生たちの中で馬英九をけなす人は一人もいなかった。ハンサムだけじゃない、人柄がいいのだ、と男の先生も話していた。そんなわけだから、私の馬英九に対する印象が悪いはずはなかった。

現に、義妹や叔母たちも彼のファンで「腕組んで写真撮ったことあるわよ」なんて自慢げに言っていた。
その晴れた12月上旬の土曜日、私が住む地域から出馬する国民党党員の選挙活動のイベントに、党首の馬英九が応援に来るということらしい。まだ彼が総統選挙を征し、総統になる前のことである。

「行く、行く!」
すでに娘たちも見知っていた馬英九を家族そろって見に行くことになった。歩いて5分足らずの小学校グラウンドは朝から準備や警備の警官などでにぎやかだった。
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2009年12月27日

弁護士費用70万円?! 本来不要な出費に泣く。ラン、自閉症のクラスメイトの世話を焼く。転園までの心温まる交流。

リーによると、やはりインサイダー取引の嫌疑をかけられた同僚たちはすべて弁護士を立てるという。その中には社長も含まれていて、彼などはもともと顧問弁護士がいるのだが、他の新たに弁護士を頼む友人には日本円で約70万円もかけて腕の良いというか高名なそれに依頼する者もいるらしい。

70万円である。
勝訴できるか否かわからないのに、である。
結局リーは知人の紹介で8万元(当時のレートで約26万円)で手を打った。それでも本来必要のない出費であることにはかわりなく、堅実な私たち夫婦はひどく心を痛めた。

さて、裁判云々の諸事は遅々として進まぬものである。
ランはその頃、すっかり我が物顔で幼稚園内を闊歩するようになっていた。なんでも、同じ蜜蜂組に自閉症の男の子がおり、ランはうまくしゃべれず、友達ともコミュニケーションのとりにくい彼の手をとって遊んだり、こまごまと彼のする作業を手伝い、世話を焼くとヘレン老師などから聞くようになった。
私はそんな話に心和んだ。たしかにその男の子の名前を家で頻繁に言っていたが、まさか自閉症を抱える子だとは思わなかった。
お転婆で、何ひとつ物怖じしないような元気なランの別の一面に、新たな光を見たような気がした。
それ以来、私も積極的にその男の子の様子を聞いたり、彼の見方でいることを奨励していた。

が、数ヵ月後、自閉症がもとで、そのクラスメイトは他の幼稚園に移ることになってしまった。症状としては重い方だったのである。
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2009年12月26日

財務担当者の奇行が原因?! 株価上昇とリーの株売却時が重なる。インサイダー取引など青天の霹靂、潔白証明する奔走始まる。

通常、企業などの財務担当者は、ある一定期間が終わるといろいろな財務書類を処分するらしい。
だが、リーも私もかつて勤めていた会社の財務担当者はご丁寧にもそれら書類を自分の物以外保管していて、何か情報を聞きつけてか、検察官のチェックが入った際、それらを見せて事が大きくなったというのだ。

その会社は急成長し、私を含め、全社員多かれ少なかれ株を配当されたのだが、幹部社員は当然その額も量も多かった。リーもそのうちの一人で、彼の慎重かつ保守的な性格ゆえ、大事に持っていた。

そのうち、父親が癌のため多額の治療費を要したり、私との結婚、出産などに伴い、まとまったお金が必要になった時、ある程度まとまった株を売却したのは事実である。
が、もちろんそういう正当な理由があり、またそのような状況にあったからであったのだが、それがたまたま後から見れば会社の株価が急に上昇した時期と重なり、嫌疑をかけられたというのだ。

リーにとっても、同様にまったく故意でも悪意でもなかった同僚たちにとってもまさに青天の霹靂である。泣くに泣けず、何とか手立てを考えなくてはいけない。
その会社を退職後も気が合い、つき合いがある元同僚たちとリーはしばしば連絡を取り合い、対策を練った。その一環として、今は亡き父親が癌のため長期入院していた病院に当時の医療費の証明書を発行してもらったり、リーの無罪を証明するための奔走が始まった。
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2009年12月25日

金山青年活動中心1泊旅行から帰り、ランは欠席返上、すぐ幼稚園へ。え?なぜ今……リー、インサイダー取引事件に巻き込まれる。

翌朝目覚めると、空模様はより台風接近を如実に示していた。
4人とも7時には早々と起き出し1階へ朝食に。豪華ではないが、中国式のバイキングを楽しめた。
外では散歩もできそうにないので、9時に金山青年活動中心をチェックアウトし、家路に着いた。1時間あまりで自宅に到着する。

車中で、半ば冗談でランに訊く。
「思ってたよりずっと早く帰れそうだね。今から幼稚園へ行く?」
すると、ランは行く!と即答、私はすぐ幼稚園へ電話を入れ、欠席と告げていたが今から行ってもよいか尋ねると、主任のクレア老師は
「どうぞ〜、来て下さい!」と快諾してくれた。給食も一人分くらい融通は利くのだろう。
10:45、ランを幼稚園へ送り届ける。
ちょうどその日から、母親は台湾人、父親は村上という日本人の兄妹が入園していた。うちと逆のパターン。以後、園でそのお母さんと時々会うことがあり、いろいろ二国をまたぐ生活の苦労話などを語り合った。

11月も末。
えらいことが起こった。
リーが以前勤めていた会社でインサイダー取引を疑われる事件。
当時、その会社の幹部で、会社株を一般社員より多く配当されていたリーなど10人近い社員にその嫌疑がかけられたのだ。
リー同様、すでにそこを退職している人も結構いたが、みな、急に今さら降って湧いたような騒ぎに慌てた。各自弁護士を立てるとか立てないとか、騒然となってきた。
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2009年12月24日

名物・鴨肉産地の金山での昼食にありつけるまではまさに修羅場。注文にひと汗かく。夕刻は活動中心敷地内の温泉に浸かる。台湾は温泉が豊富。

鴨肉料理にありつく工程はこうである。
まず、広〜い数階建ての食堂に入り、席を確保する。
円卓がたくさん並んでいるが、なかなか空席は見つからない。そろそろ食べ終わりそうなテーブルのそばで待っていて、店員さんが片付けに来る前に席を取ってしまうくらいの素早さが必要だ。

それから、また階下に下り、注文の作業に入る。
飯、麺などの主食
鴨肉
野菜類
などと分かれており、順番にいずれかを決め、手分けして取っておいた席に持ち帰る。その注文過程が豪快だ。もう、年末の築地市場かバーゲンセール会場のような混雑と喧騒で、鴨肉を賞味しに来た本旨を忘れるくらいのバトルなのである。

いささか(いや、ひどく?)上品さを欠いた修羅場にムッとしつつも、気を取り直してやっと鴨肉ランチが始まる。
味は噂どおりの美味で、鴨さんに手を合わせる思いだ。
私たちがごちそうさまをして店を出る際も、まだ下では初せりのような賑わいが続いていた。

その日は台風接近中で、お天気は良くなかったが、宿舎に帰り、夕方は敷地内にある温泉に行った。「温泉、温泉!」と幼い娘たちも楽しみにしていた。リーも温泉好きの一人だ。台湾は温泉が湧くし、そのファンも多い。ちっちゃな娘たちに水着を着せたり、拭いたりと骨が折れるが、温泉の設備は良く、私も結構楽しんだ。
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2009年12月23日

青年活動中心は台湾の公営宿泊施設。簡素だが清潔、リーズナブルで安心。金山青年活動中心に1泊、名物・鴨肉料理に挑む。

台北では毎年旧正月の頃、観光展なるものが開催される。
旅行代理店や航空会社、各地観光地にそれらの協会などがブースを埋める祭典である。
私は人混みが嫌いで、幼い子連れだと行く気がさらに起きなかったが、義弟一家はその年出かけたらしく、まだ上海移住が本決まりでなかったため、青年活動中心の宿泊券を購入していた。その1泊2日のチケットを使用できないまま、夏、上海に越してしまい、リーが譲り受けたのだった。

青年活動中心はいわゆるYMCAとか国民宿舎みたいな感じの台湾公営の宿泊施設で、全国に10ヶ所ほどある。豪華ではないが、清潔だし、一定のサービスが保証され、もちろんリーズナブル。繁忙期や人気のセンターでは予約が取れないこともある。
外国人でも利用可なので、参考にしてほしい。

義弟から進呈されたチケットは、どこのセンターを利用してもよかった。
リーと相談の結果、台北郊外の金山青年活動中心に日曜日の夜1泊することに決めた。土曜日の夜は予約でいっぱいだった。
この金山は鴨肉で有名なところで、いつか連れて行ってやろうとリーに再三言われていた。

昼食を金山の鴨料理と決めて車で向かうと、休日ゆえ、大型観光バスもわんさと集う盛況ぶり。市場のような場所に並ぶ鴨肉料理店も尋常でない混雑で、面食らってしまった。
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2009年12月22日

結婚・出産で外出が難しくなった私の心のオアシス・伊巴珈琲。王さんたちの存在、支えになる。幼稚園生活を謳歌するラン、日本語しゃべれなくなる。11月下旬、1泊2日の旅行へ。

王さんはあっけらかんとしていて、どこか肝っ玉母さん風な雰囲気がある人であった。彼女の方が私より少し年下ながら、伊巴珈琲を心のオアシスとし、彼女や陳さんとの関係や語らいをとても重視するようになっていく。
台湾にも元同僚や知人友人はいたが、結婚・出産後はなかなか出かけて会いに行くこともままならなかったので、自宅前にいる彼女らは貴重な友と言えた。
そのうち王さんも私同様、料理好きだとわかり、そんな話でも盛り上がったし、彼女の食譜(レシピ本、のこと)を貸してくれたりもした。
彼女はその店の2階に住んでいたが、どうやら恋人と同居しているようだった。
「あれ、私の彼よ。」
と教えてくれたし、たしかにその長身の男性はたびたび店に座っていたが、私から一緒に暮らしてるの?などと訊くことは気が引けた。
いずれにしろ、私を含め、いろいろあった3人であった。
また、だんだんリーとの夫婦の悩みを王さんに打ち明けるようになり益々伊巴珈琲は私の心の支えになっていった。

さて、すっかり幼稚園生活を謳歌するようになったランは、ほとんど日本語を話さないようになっていった。
台湾では娘たちに日本語で語りかける私であったが、ランは一日の多くを幼稚園で過ごすので、それは仕方ないことだった。
4時以降6:30までに園に迎えに行くのだが、そのうちランは「明日は5時に来て」と注文をつけたり、「なんでこんなに早く来るの?」とすねたり、とにかく園の先生や友達との毎日が楽しくてしようがない様子であった。
また、家では、ヘレン老師の口調を真似るように、妹メイ相手に幼稚園ごっこをするようにもなった。

11月下旬。25日我が家は1泊2日の旅行に出る。
それは……
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2009年12月21日

伊巴珈琲の王さん陳さんともにバツイチ、いち息子あり。離婚後、別居する我が子と会える「面会交流権」、日本では未だ法的効力なし。

王さんはその喫茶店のオーナーと血縁関係があり、店を任されることになったらしく、その際高校時代の同級生の陳さんに声をかけ、2人で切り盛りすることにした。色白でぽっちゃり、気風のいい王さんと、チョコレートの愛称が頷ける褐色の肌が可愛い陳さんとはすぐに打ち解け、カフェ通いが楽しくなった。

聞くと、王さんだけでなく陳さんもバツイチであった。
だが、王さんとは異なり、前夫は時々その店に小学1年生の息子と訪れ3人で結構楽しそうにおしゃべりしている。どうやら、夫は復縁を望んでいるらしかったが、陳さんは拒み、息子も夫が養っていた。

台湾も日本同様、離婚率は年々上がっている。それを裏付けるような伊巴珈琲スタッフの経歴であるが、王さんの方は笑えない経過があった。

結婚まもなく明らかになった前夫の酒乱と暴力に耐えきれず、王さんは東京に住む実母のもとに赤ん坊だった息子を連れ逃亡する。
そこで1〜2年暮らすが、夫に見つかり連れ戻され、息子の養育権を取られ離婚する。
失意に泣き暮らす王さんにある友人が「面会交流権」を得るよう裁判を起こすことを提案する。
そして、王さんは無事「月に2回の週末、息子と会い、過ごすことを許す」法的援助を得たのだ。
離婚後、別居する子どもに会うことができるこの面会交流権は、まだ日本では法制化されていない。
王さんが愛息に会ったり、プレゼントを贈る時の満面の笑みを思い出すたび、この権利の早期確立を望まずにはいられない。
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2009年12月20日

乳幼児特有・てあしくち病の存在知る。高温多湿な台湾でも各種風邪は流行する。子育て最盛期主婦の私の息抜きは週末のカフェ。雇われ店長・王さん愛息を想う。

ふつうの風邪に加え、てあしくち病という乳幼児特有疾患などに罹りつつも姉妹そろって大事に至らず暮らしていた。
台湾は日本よりずっと高温多湿で、風邪なんて流行するのかな、と甘い観測をしていたが、しっかりあるのだ、各種疾患が。
こどもたちは小さいマスク着用で幼稚園に薬持参で行くことも多く、ランの担任・ヘレン老師にもたびたび昼食後の薬服用を頼み、世話になった。

さて、バタバタ子育て真っ最中主婦の私にもひとつささやかな息抜きがあった。
それは、土日家にいて、午睡の習慣があるリーの習性を利用したカフェ通いであった。
台湾にも喫茶店は多いが、たとえばスターバックスで一杯100元(現在なら300円〜)ほどするコーヒーを25〜40元ほどで供する簡易タイプのカフェもある。
ちょうどわが自宅マンション向かいに、そのタイプの喫茶店・伊巴珈琲ができてから、週末1〜2時間のカフェのひとときは私の心を潤した。
そこで、読書、執筆などでくつろぐ。

また、雇われ店長の王さんとの語らいも楽しみのひとつとなっていく。
彼女は私より5歳ほど年下で、小学1年生の息子が別れた夫と暮らしている、事実上独り身の女性であった。
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2009年12月19日

1ヶ月以上続く頭痛は顎関節症のいち症状だと気づく。ラン、幼稚園生活に慣れ、習った漢詩念ずる。栗のケーキで祝・満4歳。

10月半ば、私は頭痛がかれこれ1ヶ月ほど続いていることに気づく。
幼い娘たちがいるし、リーの就寝時間は私より遅いし、日本の実家のように周囲が静かでもないから安眠が妨げられることは多々あり、寝不足や体調不良によるものだとばかり思っていたが、どうもおかしい。
痛みは主に頭の中央部にへばりつくような感じで、気がつけば慢性になっていた。

おかしい。
もしかしたら、とネットで調べてみると、果たして私の予想は当たった。顎関節症のいち症状だったのだ。
夏、日本一時帰国中に日赤の顎関節症外来を受診したが、手間がかかるのでマウスピースを作らず台湾に帰り、その後も放っていたのだが、新たな症状を発症し、ヤツは悪化していたのである。
しkし、物が食べられない、痛くて口が開かないなどの重症ではなく、また台湾では十分な専門的治療は受けられないだろうし、専門外来にある大きな病院へ半日がかりを覚悟で行く気にはなれず、私はまたしても我慢してやりすごそうとした。

10月は、ランがようやく幼稚園生活に慣れ、秋の遠足を楽しんだり、園で習った漢詩をしょっちゅう口ずさむようになり、それを妹のメイも聞いて覚えるようになった。漢字は読めない2人だが、耳から音で覚えるのだ。
また、月末ランの誕生日には白木屋のケーキで祝った。アイスケーキにしようかと思ったが、ワンサイズでしかも約4000円もする!台湾の物価からすれば、ゼイタクもいいところだ。もともと白木屋はおいしいながら高いチェーン店だが、度が過ぎる。
秋においしい栗のケーキでおめでとう。満4歳。

顎関節症の頭痛は小康状態に入ったのをよいことに、私はさらに我慢を続け、七転八倒の限界が来るまで手を打たなかった。
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2009年12月18日

南国・台湾でも毎年あるインフルエンザ予防接種。国慶節、16年ぶりの軍事パレード。書評の仕事、終了の連絡まったくナシに「異文化」感じる。礼節重視の日本を想う。

10月に入った。
保健所で乳幼児と老人へのインフルエンザ予防接種解禁のニュースを聞き、まず下のメイを連れて行くが、熱があり延期になる。暑い台湾でも毎年インフルエンザ予防接種は話題になり、実施される。
当時の日記を読んでいるが、ラン入園後は毎日のように娘たちの風邪やら体調不良を綴っている。39度を越す発熱あり、坐薬あり、あわてて小児科受診に家族中蔓延の嘆きありとサンザンである。

10月10日、その年の国慶節には16年ぶりに軍事パレードが行われた。
この祝日は政府の方針やら政権の云々で休みになったりならなかったりする不思議な日である。日本では考えにくいことだが。

それから、例のG出版社からの書評の依頼はぷっつり途切れた。
半年以上にわたり、55冊の日本語書を中国語で書評したことになる。
「ねえ、まだ書評の仕事来るのかなあ?」
とリーに訊いても、G出版社へ逆玉の輿でムコ入りした友人・小宏から何もその件については話がないと言う。まあ、担当者は女性社員で彼とは直接関係ないと言えばないのだが、何の音沙汰もなく引っかかっていた。

様子を見ることに決めたが、その後も結局「これでもう終わりです。ありがとうございました。」とか「またお願いすることがあるかもしれませんが、しばらくは該当書はありません。」などという節目というかケジメというか、そんなあいさつや連絡はまったくなかった。
日本ではまずまかり通らないことではないだろうか。
だが、このようなことは台湾ではめずらしくない。腹を立てるのもバカバカしくなるが、礼節を重んじる国・日本を改めて意識するきっかけになったと思えば、少しは気も穏やかになった。
ただ、せっかく興味ある仕事を広げて行きたいと望んでいただけに残念だ。
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2009年12月17日

義弟一家の上海移住完了。家財無料オークションも。小4の長男、上海では進級できず再度小4に。物価上昇する上海でもピアノレッスン継続。

さて、我が家のあれこれで遅れていた義弟一家上海移住のその後を報告したい。
5月、先に単身上海に赴いた義弟であったが、義妹はぎりぎりまで仕事を続け、小学4年生の長男、幼稚園年長組の長女は夏休みを待って、8月台湾を離れた。
リーも一部を援助して彼らが購入したマンションも解約し、しばらく3人は義母宅で暮らしていた。未処理の家財も一緒に居候しており「好きなの持って行って!」状態であった。もちろん欲しい物はもらったが、今まだ必要ないものも多く、置く場所もないしで、親戚にも声をかけ見に来てもらい、少しずつオークション会場も片付いて行った。

義妹たち3人は上海到着後、荷物の整理ばかりしていられなかった。
いちばんの懸案は長男の転校問題であった。住居地校区の公立小学校に入るのだが試験を受けねばならない。台湾の小学校で各教科どこまで勉強したかも調べられる。
その結果、9月より5年生に進級するはずの長男はもう一度4年生をすることになる。そうなのだ、小学校の学習課程は台湾より中国の方が進んでいるのである。可哀そうだが仕方ない。

また、その長男は台北ではYAMAHAでピアノを習っていたので、引き続きそのレッスンも受けられるよう整えられていった。物価が台北に追いつくほど高くなっている上海、聞いているといろいろ大変そうであった。
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2009年12月16日

家電製品を壊すのはすべて私?! 子育て、教育方針で衝突、口論増えるのは仕方ないのか。リーの会社もトラブル続き。

我が家の洗濯機は私がリーと結婚する前からあったもので、もう10年近いベテラン、老体であった。引退も仕様がないだろうと思うのだが、リーは私が毎日選択するから壊れたと主張した。
洗濯機だけではない。パソコンが時々うまく作動しないことがあっても私が壊したことになる。家電製品の不具合はすべて私の責任になり、時には天気や渋滞や娘たちの風邪の原因も私に持って来られた。
要するに、機嫌が良くないと彼は私の非にしたのである。いや、そう感じずにはいられなかった。

実にその年は家内の物がよく壊れたり、修理を必要とした。
また、どこの家庭でもそうなのかもしれないが、恋人・新婚時代にはなかったのに、子どもができるとそれをめぐることで意見が合わなかったり、教育方針を決める主導権争いのようになり、口論は絶えなかった。

傷心しつつも、私は主婦としても母としても立ち止まることはできなかった。幼稚園へ通うランは、だいたい月2回のペースで風邪をひき、だいたい小児科へ走らねばならず、それがリー、メイ、私の順に回ってくるパターンを繰り返した。
リーの仕事の方も順調ではなかった。いちばん良かった頃より収入が減るのは仕方ないにしても、社長の人柄や経営手腕そのものに問題があることで社内の士気が低下し、会社生命を危うくするような事態に常に瀕していた。


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2009年12月15日

ラン通園4日目、発熱でダウン。私の頻尿も悪化し受診。台北震度3強の揺れと洗濯機故障に泣く。

さて、幼稚園へ通い始めたランは社交的で物怖じしない性格ゆえ、予想通り毎日それは喜んで行ったが、帰宅後の疲れた様子は痛々しいほどで、通園4日目にして37・5度の発熱。朝、近所の小児科へ連れて行き、そのまま休ませることにした。「保育園や幼稚園へ行き出すと、ひっきりなしに風邪や病気をもらって来る」という話はやはり本当だったのだと早くも痛感させられる。

一方私は出産がもとで始まった腰痛とのつき合いは続き、顎関節症の機嫌をうかがいつつ暮らしていた。
またその頃、頻尿症状がひどくなり、夜安眠できず、たまらず医者に診せた。実は頻尿も以前から抱える持病のひとつである。
が、お腹が痛んだり、外出時に突然尿意を催すというような病的なものではなく「トイレが近い」体質だと言ってしまえばそれで済むようなものでもあった。
実際それまでも診察を受けたことはあったが、決定的な病名も治療法も明示されなかった。私とよく似た悩みを持った同世代の友人もいた。

お薬は7日分出た。飲むと効果はあり、その後も寝不足でつらくなるくらいになればその医院を受診するようになった。

そんな折、夜中に台北震度3強の地震。11階だとかなりの揺れで、その後の眠りを妨げられる。台湾の地震の多さにはまったく閉口する。
その2日後、洗濯機故障。かなり使い込んでいたので寿命が来たのだろうが、リーからガミガミ叱られる。
あの年は家内のものが実によく壊れた。
そして、それに比例してリーとの口論も増えた。
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2009年12月14日

二胡検定は甘くない?! 受験には様々な課題あり。台湾二胡専家委員会もよく考えたものだ。やっぱり「まずは古典」。

台湾の二胡検定は1級から10級まであり、日本人の感覚とは逆で10級が最も難しくなる。
課題曲を見ていると、私が既に習ったものは各級にまたがっている。練習曲と古典それぞれ10曲くらいあり、2曲ずつ選択可能で「え、この曲難しいのにたった3級?」とか、弾きやすい曲が7級だったりと驚きもある。個人の好み、得手不得手とも関係するらしい。

しかし、詳しく調べていくと、そう簡単でないことがわかってくる。
たとえば、こうだ。
6級を受験することにする。なら、その課題曲など数曲を猛練習したら良さそうなものだが、実はそうではなかった。
もちろん暗譜して猛練習せねばならないが、試験日、受験級のすぐ下の級すべての課題曲の中から1曲、試験官が指示する曲を弾かねばならないと書いてあるのだ。この場合だと5級に指定されている10曲くらいをみなマスターしておかないと6級は受けられないわけである。

うまくできている。
そう甘いものではない。二胡専家委員会もよく考えたものだ。
本当に受験するとなると、私のようなまだ初級〜中級者は1〜2年がかりで準備しないと事実上無理だろう。はーっ、遥かなる道のり。

長い目で見るしかない。
そして、まだ救われるのは、私はとても古典が好きなことだった。古典の曲は技術的に高いものが要求され難しい。流行歌やオールデイーズを二胡演奏にアレンジされているものも多く、それを好む人もいるが、私は早くから、まずは古典、と思っていた。
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2009年12月13日

二胡検定試験に意欲。台湾・中国音協全国楽器演奏考級委員会 二胡専家委員会編の楽譜集購入。二胡教授に資格、免許は要らない?

私が二胡検定試験受験を思いついたのも、実は遠くない将来の日本移住計画をより骨太にするためのものであった。日本にも日本二胡学会が検定試験を実施しているが、台湾では「中国音協全国楽器演奏考級委員会 二胡専家委員会」がその方面を取り仕切っている。
娘たちをリーか義母が見てくれる日、私は馴染みの楽器店へ出かけ、新しい楽譜を探していたら、その委員会なるものが編集した『全国二胡演奏考級作品集』という厚さ約1・5cm、A4版、薄ピンク色の本を見つけた。

それは一冊ではなかった。何でも、二胡検定では練習曲と古典の曲、それに課題曲や選択可能な楽曲などいろいろあるため、一冊では収まらず数級ごとに編集されているのだ。
私はそれらすべてを購入し、蔡老師にも検定試験について相談してみた。蔡老師自身は受験したことがないようで、ネットで調べたりしてより豊富な情報を提供してくれた。

二胡をやっている日本人仲間からも聞いたが、二胡を教授するために絶対必要な資格や免許はない。それは台湾でも同じらしい。
だが、ただ何年間二胡を弾いています、先生に習っていました、と言うよりは検定試験で何級に合格しました、などと明確に提示できる方が仕事をしたり、認められるためには近道のように考えたのである。

一冊250元(現在なら約750円)の楽譜を買い求め、吟味してみる。既に習い、弾ける曲は半分くらいある。
さあ、何級を受けられるだろう……
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2009年12月12日

9月新学年度スタートの台湾。ラン、幼稚園入園。保育料は1ヶ月9300元、私立幼稚園の相場。私は二胡検定受験を目指す。

台湾は欧米同様、9月に新学年度がスタートする。
よって、日本では同級生だが、台湾ではひとつ上とか下とか、その逆現象が起こる。ちなみに義弟は台湾では私より一級下だが、日本でなら同級生だ。もちろん、卒業・入学は桜の咲く頃、なんて風情は拝めない。暑〜い7,8月が新旧交替の時期、道端で売られることもあるお祝いの花束も高温ですぐぐったりしそうである。

さて、その年は9月1日は土曜日で、ランの永華幼稚園入園は翌々3日となった。ピカピカの新入生、身体に比して大きな黄緑色の通園リュックにはキリンの絵がプリントしてある。たくさん写真を撮り、リーはビデオカメラをまわす。
8時半までに園まで送る。夕方は4時に放課するので、それ以降ならいつ迎えに行っても良い。最長6時半まで預かってもらえる。だいたいそれくらいが台北の私立幼稚園の保育可能時間だ。
また、永華幼稚園1ヶ月保育料は6800元、あと半年ごとに「注冊費」と呼ばれる登録料みたいなものがあり、それを月で割り加えると1ヶ月約9300元ほど(今のレートでは少し安くなり約28000円)になった。これで私立の相場と言える。

入園当初は帰宅すると毎日ぐったりするラン。慣れず、相当疲れるらしかったが、喜んで幼稚園へ通うようになった。
一方私は二胡で新たな挑戦を試みることにする。
台湾には二胡検定なるものがあり、それを受験しようと思い立ったのである。
posted by マダム スン at 05:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 家運低迷期突入す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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