おまけに主治医の都合か、患者数が少ない時間帯か知らないが、夕方5時以降夜の部の診察時間に来るよう言われる。主婦にとって最も出にくいといえば出にくい時間帯であるが仕方ない。以後、11月7日まで、3人で通院>< 1歳のメイを一人にすることもできず、雨の日も多かったその頃、メイを負い紐で抱き、ランの手を引き、半泣きの形相で歩いた。
それにしても、子供の治癒力は見事だ。
赤く腫れ、水泡がたくさんでき、それがやがて茶に変色し、水泡が破れぐちゃぐちゃになり、医師の処置を直視できないこともあったが、ランは泣かなかったし、傷跡が残るのを怖れたが、それもなく、どんどんきれいに治って行った。
日本の外科ではどうだか知らないが、ランの場合、初日から毎日患部を写真に収められた。私ものちに台北の自宅で天ぷら油が飛び、右手を火傷、同じ病院で治療を受けたが、同様に毎日写真を撮られたものだ。
上海に越し、仕事をする義姉(リーの姉)のところへ義母が行って数週間が過ぎる。どこへ行くにも幼い娘2人を同伴する生活が続く。
「ママ、今日はカルフール?農会?市場?」
ランはよく心得たものだ。毎日徒歩でそのどこかへ出かけた。
娘たちが今健脚なのは、あの頃からよく歩いたおかげかもしれない。