卒業後もそれまで通り二胡の個人レッスンを継続し、冠婚葬祭時に依頼されれば演奏に行く仕事も新たに始めていた。彼女自身はプロテスタント系の信者だったが、その種の仕事の多くはキリスト教と無関係だった。
また、二胡仲間と楽団を組んだり、「ストリート・ミュージシャン」にも興味があり、街頭で二胡を弾く醍醐味も私に語った。台湾ではストリート・ミュージシャンとしてのお墨付きをもらえるコンテストだか検定試験があるようで、それも受験したいと言った。意欲ある若き二胡奏者である。
ところで、二胡は他の楽器同様、女性でも男性でも弾ける。ただ、バイオリンのように子供用ミニサイズというのがなく、そのため「3歳から二胡を始めました」とかいうピアノなどのような天才奏者はいない。せいぜい小学校中学年くらいからしか弾けない楽器である。
通っていた音楽教室と自宅が目と鼻の先ということもあり、蔡老師は来宅レッスンを引き受けてくれたのでこの件は無事落着した。
それから、この頃から私はまもなく満3歳を迎えるランのための託児所探しに奔走するようになる。台湾では日本で言う保育園や幼稚園にあたる施設を「託児所」と称することが多く、日本とは形態が異なる。日本で3歳と言うと、ほとんどの乳幼児は保育園か幼稚園に入る年齢だし、幼い年子の娘たちをひとり世話するのに限界を感じることも多々あったのがその理由だった。