2009年11月10日

リー、4歳入園論説く。義母、海外旅行で不在も、私ひとりで子守り踏ん張る。託児所計画断念。

たしかに同じマンションに住む幼児のいる家族でも、日本でならふつう保育園に通っているくらいの子供を家に置いているところがあることに気づく。
リーは言う。
「幼いうちは託児所に行っても遊ぶだけで、たいして得るものはないんだよ。それどころか、かえって汚い言葉を覚えたり、悪い癖なんかをもらって来る。君は専業主婦で家にいるんだし、4歳まではうちで見ればいいよ。」
言われてみれば、自信を持って反論する勇気も萎える。
リーはいくつかの例を挙げ、説明した。経済的理由があり、託児所に入れる時期を極力延ばす家庭もあるし、いくら平均以上の裕福な家庭でも、さっき話した理由で、できるだけ長く家庭で教育しようと考える夫婦もあるそうだ。リーの知り合いだと、お金に不自由するとは思えない家庭で、子供をなかなか託児所にやらない例は結構あった。
それに、集団生活を始めると、風邪や病気をひっきりなしにうつされるとも聞く。

義母は独身のひとり娘である私からすると義姉と一緒に上海やタイなどに旅行して不在なこともあり、私はあの頃とみに子育てに忙しく、一人で背負う緊張と疲れに時々押し潰されそうになっていたが、考え直すしかなかった。
近所の託児所へは説明を聞きに行ったりしていたが、夫がこう言いますので、と低調に断わり、改めて子守り任務への覚悟を決めた。
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2009年11月09日

台北・保育園、幼稚園事情。公立少なく、私立の競争熾烈。リー、「4歳入園でいい」。なぜ?

日本でも大都市と地方で事情が異なるが、台湾と日本の就学前教育形態もかなりちがう。これは首都・台北のことになるが、人口が多いため公立の託児所では追いつかず、その数の何倍にも当たる私立の施設があり、託児所間の競争も相当熾烈に感じられる。

ランとメイは台湾にも戸籍があり、就学時期が近づくと居住する校区の市役所から入学案内が送られるが、小学校未満ではない。それまでは「勝手にやってください」というところだろう。
保育園と幼稚園が合体したような託児所は、0〜6歳まですべてを受け入れる。幼幼班、幼班、小班、中班、大班などと年齢別に分かれ、英語教育に力を入れてそれをウリモノにするところや、英才教育をすすめるところなど様々である。よって保育料の幅も広い。もちろん公立は安いが、数が少なく、保育時間が私立より数時間短く、共働きの家庭などは事実上無理なことが多い。

さて、我が家から半径1km内だけでも思いつくだけでかなりの託児所がある。近いところだと、うちの窓から見下ろせる、すぐ隣りの棟の1階にあるし、徒歩5分ほどで行ける市役所、保健所、小学校周辺はさすが
に林立地帯である。
「もうすぐ3歳」
この意識が強い私だったし、日本でもそろそろ大方の保護者が入園を考える時期だろうが、リーは消極的だ。
「4歳からでいいよ」
と言う。なぜだろう?


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2009年11月08日

出張演奏、楽団、ストリート・ミュージシャン、二胡に多忙な蔡老師。二胡にミニサイズなし。託児所探し始める。

蔡老師は高校の音楽科卒業後、芸大に進み、二胡を専攻していた。
卒業後もそれまで通り二胡の個人レッスンを継続し、冠婚葬祭時に依頼されれば演奏に行く仕事も新たに始めていた。彼女自身はプロテスタント系の信者だったが、その種の仕事の多くはキリスト教と無関係だった。
また、二胡仲間と楽団を組んだり、「ストリート・ミュージシャン」にも興味があり、街頭で二胡を弾く醍醐味も私に語った。台湾ではストリート・ミュージシャンとしてのお墨付きをもらえるコンテストだか検定試験があるようで、それも受験したいと言った。意欲ある若き二胡奏者である。

ところで、二胡は他の楽器同様、女性でも男性でも弾ける。ただ、バイオリンのように子供用ミニサイズというのがなく、そのため「3歳から二胡を始めました」とかいうピアノなどのような天才奏者はいない。せいぜい小学校中学年くらいからしか弾けない楽器である。

通っていた音楽教室と自宅が目と鼻の先ということもあり、蔡老師は来宅レッスンを引き受けてくれたのでこの件は無事落着した。
それから、この頃から私はまもなく満3歳を迎えるランのための託児所探しに奔走するようになる。台湾では日本で言う保育園や幼稚園にあたる施設を「託児所」と称することが多く、日本とは形態が異なる。日本で3歳と言うと、ほとんどの乳幼児は保育園か幼稚園に入る年齢だし、幼い年子の娘たちをひとり世話するのに限界を感じることも多々あったのがその理由だった。
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2009年11月07日

皇室男児誕生、日本沸く。二胡レッスン存続の危機。自宅に蔡老師を招き、二胡修行続く。

皇室41年ぶりの男児誕生のニュースで沸いたのは、そのしばらくあとだった。紀子さまが3人目のお子様を出産、男の子だったのだ。
その翌9月7日、メイを義母宅に預け、私はランと徒歩5分ほどの音楽教室に二胡レッスンに向かう。これがその教室での最後のレッスンだった。

日本から戻り、だいたい毎週水〜木曜日と義母がメイを預かってくれれるようになり、その時レッスンを受けていたが、義母も用事が入ったり、体調がすぐれず、子守りキャンセルの事態もあって、二胡修行継続危機の状況にあった。
もうすぐ3歳になるランひとりなら、教室の受付嬢などが面倒をみてくれたが、2人となると気が引ける。
よって、思案の末、蔡老師に打診し、自宅に教えに来てもらうよう頼んだのだった。もちろん、教室のオーナー夫婦にも事情を説明し、理解してもらえた。彼らも幼い子を持つ身、寛大だった。

自宅に来てもらってのレッスン、授業料はいかほどか見当がつかない。すでに気心の知れた蔡老師に尋ねると、
「私の仲間たちの間では、ワン・レッスン(1時間)700〜800元ね。」
とのこと。音楽教室では初級700元、中級800元だったのでかわらない。蔡老師自ら、700元で、と申し出てくれて、決まり。約2400円くらいだった。日本で二胡の個別指導を1時間受けると5000円はする。それに比べると安いが、台湾の物価から考えれば、楽器を習うのは高くつくことだった。
自宅に来てもらうのには恐縮したが、音楽教室だと蔡老師の実際の取り分は300〜400元だが、自宅レッスンなら700元すべて彼女のものになるのはうれしかった。
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2009年11月06日

義父生前の願い。リーの誕生祝いは自宅に家族を招く。和食はあっさりさっぱりが多し、義母困惑?!

義父が生前、家族に言い残したことのひとつに、きょうだい3人仲良くし、互いの誕生日には集まり、一緒に食事をしなさい、というのがある。
台湾では日本と異なり、自分の誕生日に知人友人を食事やカラオケなどに招待し、ともににぎやかに祝うことが多い。本来、祝われる人が大判振る舞いするのだ。
よって、スン家でも、誕生日を迎える者が家族を招待するナラワシがある。

8月末、リーの誕生日が近づいてきた。給料が下がり、家計を切り詰めねばと心していた私は、「今年はうちにみんなを招いてはどう?私が日本料理を作るから。」とリーに提案すると、彼も賛成した。どこかレストランへ行くことが多かったが、手作りのもてなしももちろんOKだったのだ。

独身の義姉、義弟一家と義母を招くと全部で10名になる。
8月の最終日曜日に、ささやかながら我が家でバースデーパーテイを開くことを皆に告げる。
当日は朝からスーパーに買い出しに行き、夜の会食に向かって私は台所で奮闘した。時々37〜38度になる暑い時期、文字通り汗だくになっての勝負だった。

ツナ、にんじん、きゅうりの巻き寿司
鯛と豆腐の蒸し物
ハンバーグ
なすときゅうりの味噌和え
長芋の短冊サラダ もみのりかけ

上デキではなかったが、何とか無事その夜は更けた。
味覚がちがうのだろう、義母はあまり食べなかったのが気にかかる。
やはり、日本料理は中華料理に比べ、あっさり煮物や和え物が豊富なのだ。
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2009年11月05日

書評一冊の報酬は? 未踏の分野、推理小説などにも親しむ。週末はマックで任務に没頭、全55冊を手がける。

私は本好きであったが、やはり好きなジャンルとほとんど関わらないそれとがあった。
しかし、この書評の仕事を受けた収穫の一つは、かつて未踏の地であった推理小説などに導いてもらったことだと思う。
結局、G出版社から依頼された日本語書籍の中国語書評は55冊にのぼったが、ふだん、まず自ら選び、読むジャンル以外の作品に多く触れさせてもらった。たまたまか、本来そういうものだったのか、何冊か読んだ推理は引き込まれるようにおもしろかった。
また、こんな程度でも出版できるのかと拍子抜けしそうなものもあった。いかにも傑作だと思わせるような触れ込みがあるものの、どう冷静に考えても稚拙な文章で、最後まで読み続ける気持ちにどうしてもならず、それを正直に書き送ったことも数回あった。
金さんはそれでも文句は言わず、私の批評や評価を重んじてくれたし
もっと踏み込んだ意見を電話で尋ねてくることもあった。

リーとは、「一冊やっていくらもらえるのかなあ?」と話していたが直接金さんや小宏には訊かずにいた。300元(当時で1000円ほど)では安すぎるし、1000元だとうれしいが、無理だろうなあ、というのが本音だった。
それを知ってか否か、果たしてG出版社がくれた書評一冊当たりの報酬は500元(当時約1700円)であった。

書評の作業は、リーのいる週末には、よくマックへこもってやった。
紅茶一杯で1〜2時間没頭した。
自宅最寄りのマックはとても繁盛していたが、よく観察していると、外から持ち込んだもので長居する中高校生がたくさんいることに気づくなど、社会勉強もあわせてしていたものである。
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2009年11月04日

試用試験合格。正式に日本語→中国語書評を始める。宅配業者往復、本が行き交う。

G出版社の「私担当者」は金という女性だった。「金」というと「キム」と発音する韓国で最も多い姓をイメージしがちだが、中国人にもある。小宏とリーを通して、私の受諾情報を得た彼女はまず電話をかけてきて、また数日後、日本のある本のコピーを宅配便で送って来た。いわば、私がどれだけやれるか試用試験だった。

私はそのコピーを読み、物語のあらすじと読後感想をすべて中国語で書き、メールで送信した。
金さんたちがどう感じるか、とても不安だった。ひとつは、私の書評の形式がそれでよいものかということ。もうひとつは中国語能力である。特に初級者のそれは、日本語を中国語に翻訳する際、どうしても和製中国語になりがちだ。異なる言語間には、まったくのイコールにならない各言語独自の決まりごとや性格がある。日本語の言い回しをそのまま中国語の単語を使って訳すと、台湾のネイティヴ・スピーカーならまず発想しない文になることは少なくないのだ。

だが、果たして、金さんから明るい声でOKの返事があった。
その後は何冊かまとめて、日本語の本が宅配便で自宅まで送られてくるようになる。
私は家事子守りの合間をぬって、この書評ミッションを最優先してこなすようになった。書評し終わり、OKが出ると、また何冊かG出版社から本が届き、その時、ドアまで来る宅配業者に読み終わった分を手渡す方法をとった。

必要とされている、私にもできる仕事がある。

その思いと充実感は久しぶりに味わう幸せな感覚であった。
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2009年11月03日

潤ったフトコロで気楽な投資三昧。G出版社の婿殿・小宏の選んだ第二の人生。私の書評初挑戦開始。

リーが言うには、小宏はそれほど裕福な家庭に育ったわけではないし
昔からブランド志向な面が多々あった。
よって、適齢期の最中にある大手出版社社長の娘と会い、基本的な「受け入れライン」を越えれば、今の彼女とサヨナラしても華やかな蝶の方へ舞い行くことは十分考えられる。もちろん、周囲がそれをとやかく言うことではないだろう。実際、小宏はけな気にも義理の両親と同居し、良い婿であろうと努力している。現在では、一人息子の学校の帰りは彼が運転して迎えに行く。朝はお抱え運転手がその勤めを果たす。また、海外も含め、ちょくちょく出張に出かける妻が不在の時は彼が子守り役。いくら経済的に恵まれても、こういう生活を嫌う男性は多いはずである。

小宏は社長令嬢と結婚後、そのG出版社で働き、リーと私が退職した会社にもまだ籍を置き、週に一日だけ出勤している。特別なはからいでと言える。これも、小宏の妻がG出版社の次期社長ということが大きく関係していることは明らかである。

お金持ち一家の婿殿になった小宏には、それぞれの会社から得る報酬はすべて自らの小遣いのようなもので、株や投資信託などにつぎ込んで楽しんでいる。
そんな暮らしを好むか否かはその人各々の価値観が決めればよい。少なくとも小宏は財布の潤ったマスオさん生活を謳歌している。リーには耐えられないだろうが。

とにもかくにも、そんなG出版社の書評の依頼を受け、恐る恐る始めたのが、リーが新しい会社に入社したのと同時期のことだった。
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2009年11月02日

G出版社長令嬢を追いかけた小宏。やはり下心あり?! 逆玉の輿結婚成立後、マスオさん化する。

もちろん好みによるが、小宏はパッと目を引くタイプである。
私の面接時には何人かの幹部が試験に顔を出したが、後々覚えていたのは彼くらいだった。もらった名刺から考えると、リーも面接官の一人だったようだが記憶にない。小宏は長身で、台湾人には思えない顔立ちをしていた。アジア人なのだが、生粋の中国人とちがう、彫りが深く個性的な顔なのである。
高校時代の同級生であるリーは、小宏がそれほどモテたようには言わないが、「何人か一緒にいて目立つのはヤツ」と一度言ったことがある。

さて、G出版社長令嬢と小宏の馴れ初めである。
ある日、仕事の話をするため社長令嬢は我が社を訪れる。
その時、会議に加わった中に財務部長だった小宏もいた。そして
2人のロマンスが始まるが、初め積極的だったのは小宏の方だったらしい。
当時、社長令嬢はもうすぐ三十路を迎える頃で、小宏は彼女より4〜5歳年長、交際中の彼女がいたが、G出版社に方向転換する。「身内同伴可」な社員旅行には交際していた彼女を連れて来たこともあり、小宏の行動に社内ではブーイングが起こった。

だが、社長令嬢と小宏は逆風をものともせず、逆玉の輿結婚と相成ったのであった。「お家柄」は妻の方が上なのは歴然としており、結婚と同時に小宏は令嬢のお〜きなマンションに越し、義理の両親との同居が始まった。日本より格段に少数な、事実上、いわゆる婿養子に入ったのである。

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2009年11月01日

ユニットキッチン設置後の傷心。私に書評の仕事?! 小宏は出版社に永久就職した元同僚。

7月26日午後3時、ユニットキッチン設置にB&Qの社員がやって来た。
2時間近くかかって真新しい芝生色の一式が収まり、寡黙な2人の男性は帰って行った。
その後は床を掃き、拭き、外に出していた鍋やらお皿などごちゃごちゃした台所用品を整理して行かねばならない。
新しいというのは気持ちよいものだが、まだソウル時代のあの広〜いキッチンに立った感覚が抜けず、たいした感激はなかった。
それに、私の工事の後始末や清掃のやり方がリーの思いに沿わず、すごい剣幕で怒鳴られ、泣きながらの雑巾掛け。
ハングル語ができず、ソウル支社のリストラを断腸の思いで断行しなければならなかったストレス多い頃の私への言動を彼はその後わびたが、私にすればソウルもここも何ら変化はなかった。

しかし、あの頃、私にはとてもうれしいことが起こった。在宅で出来る仕事の依頼が来たのだ。
私とリーの共通の友人(以前の同僚)小宏がもたらしたその仕事とは日本語の本を読み、大要と感想を中国語で報告する、いわゆる書評だった。
そんな仕事はしたことがなく不安も大きかったが、とにかく興味があったし、やってみたいと思った。
まず小宏からリーに打診があり、その後出版社の担当者から直接私に電話がかかってきて、話は進んでいった。

さて、小宏は私の元同僚で、リーの高校時代からの友人だ。リーがいた会社の面接試験の際の面接官がこの小宏だった。
私とリー同様、後に小宏もあの会社を辞め、台湾でも大手の類に入る出版社に「永久就職」した。そう、彼はそのG出版の一人娘と結婚したのだ。
台湾版逆玉の輿の話はまた明日。
posted by マダム スン at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 家運低迷期突入す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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