2009年09月10日

COEXは広い!大型書店には日本書がいっぱい。ヨンさまグッズも。ソウル、秋の風。

台湾から戻った翌々日は水曜日だったが、リーが早めに退社できたので、めずらしく平日の夜にWal Martに買い出しに行けた。これでようやくガソリンが入った感じ。
それから、その頃には広いCOEXがどうなっているかだいたい把握できるようになっていた。大きな水族館は有名で、幼稚園や小学生を先生が引率して来て、入口にずらーっと並んでいる情景は頻繁に見られた。瀟洒なシティホテル、COEXインターコンチネンタルがちょうど我が家側に隣接しており、外国人観光客の姿も多い。
コンビニ、飲食店、電気屋、雑貨、文具、ネイルアートを施す店、薬局、ブティック、書店などなどいっぱいだ。我が家からは遠い向こう側になったが、地下鉄の駅があり、現代百貨店もその一画にあるわけである。ゆっくり見て周っていたら、半日くらいは十分退屈なしではないだろうか。
当時は日本が韓流ブーム最高潮期に重なっており、韓国のお土産を売る店には必ずヨンさまグッズなるものなどがたくさん見受けられた。

そのCOEXの大きな書店では発見があった。
日本語の書籍が思いのほか豊富にそろっている。月刊誌から幼児書、文庫本に単行本、それも物によったり、日本書フェアみたいな催しがあって、日本国内と変わらない値段で手に入ることを知ったのだ。
これはありがたかった。その売り場コーナーへ行くだけでホッとすることもあった。絵本を眺めるのが好きなランに世界の名作童話を買ってやることが多く、今も使っている公文のひらがな、カタカナカードはここで購入したものだ。

Wal Mart買い出しの翌日、娘たちの衣類の大整理をする。9月22日、ソウルでは確実に秋の訪れを感じるようになっていた。
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2009年09月09日

家族そろって初の台湾一時帰国、義母宅に居候。韓国にもたくさんの冷凍ギョーザあり。

坂下さんが初めてエマちゃんを連れて我が家に遊びに来てくれた翌日から9月19日まで、一家4人そろって台湾に一時帰国する。
リーは本社での定例会議出席の務めもあるので、毎月ソウルー台北間の航空券が提供されたが、私たち家族は会社からのそれが半年に一度しか得られなかった。
それでも、7月30日にソウル入りしてから2ヶ月足らずで台湾に戻ることになったのは、リーとの共通の同僚の披露宴に招待されていたことと、9月18日が中秋節だったからである。
リー個人の台湾出張時と同じタクシー会社から、定刻に黒く光った大型ワゴン型タクシーが迎えに来てくれたが、早朝出発は大変だった。

4泊5日の台北一時帰国は、リーだけ自宅で寝泊りし、私と娘たちは義母宅に居候した。義母宅には8畳くらいの畳の部屋があり、母娘3人が雑魚寝するには持って来いでもあった。多くの家財道具が韓国へ行っているため、とても不便な我が家だったのだ。ケーブルテレビも契約を切っていた。
さすがに台北は9月と言っても太陽が夏の勢いを持ち、とても暑く、ソウルを恋しく感じる気持ちさえ湧くことに我ながら驚いた。住めば都? 

搭乗前、懸念した重量オーバーもなく、どっさり台湾の物を持ち帰る。新たに購入した品もあるが、あったら便利な、使い慣れた天ぷら鍋や秤なども一緒でうれしい。
しかし、冷蔵庫はスカスカ。ソウルに帰った翌日は、カレーライスや冷凍ギョーザでしのぐ。
台湾同様、韓国にも多種多様な冷凍ギョーザがあった。中でも私の一押しは、円形に包まれたキムチたっぷりギョーザ! 娘たちには辛くて無理なので、いつも普通のとこのキムチ入りのをストックするようになっていた。
あー、なつかしい、あのボリューム、あの辛さとからむ美味、、、、
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2009年09月08日

お昼にキムチはダメ?! 夫婦それぞれのストレスに病む。般若心経に触れ、無我、不動を目指して、、、、、

先週書いたと思うが、会社でストレスを受けるリーはそれを家で発散するしかなかったのだろう。
前任者が荒らした会社の規律や使い込んだ金額は小さくなく、オンラインゲームそのものの運営、サービス、開発はもちろん必須で、リストラも本社からの命令のままに実行せねばばならなかった。社員たちに何を話すも、秘書の通訳を必要とし、もどかしい思いをすること多々あったと察することができる。
そんな重圧が、まじめで責任感の強いリーを追い詰め、本来の気性の荒さを助長していた。

私の作った食事への文句は絶えず、数日外食を続けたこともある。
その9月のある日、お昼に現代百貨店の例のキムチを使ったキムチ炒飯を作り、リーはおとなしく食べたが、日課であった短い午睡の後、
「昼にキムチを食べさせるな。胃が熱くて眠れないよ!」と怒鳴られた。
キムチを食べた後、胃がそのようになるとは彼から聞いたことがなかったが、とにかく、いつも虫の居どころが悪かった当時は万事がそんな感じだった。
娘を一人、台北に送り返そうとの提案も何度も出され、私を脅かした。実際、リーの弟一家がアメリカで暮らしている時、第2子を生後2ヶ月ほどで台湾へ送り、義母に預けた事例があるため、そういう発言は現実味を帯びていて、恐ろしかった。

ランの友達探し、相変わらず弾く二胡、目の離せない幼い娘たちの世話、キリがない家事、そして、母でも妻でもなく「私」そのものの充実、成長、実現を韓国に在っても強く望み続けていたため、リーとは別種の、だがリーに劣らないほどのストレスに私も苦しめられていた。
思えば、柳澤桂子氏の訳した般若心経に出会ったことがきっかけで、その後数年間、私は仏教関係の書物を多く紐解き、その訓えに安らぎを求めた。ある特定の宗教だけに深く関わることへの抵抗は依然あったが、自分は「普遍の真理」というものを探しているとの覚醒と自負はあった。
当時、私にとっての安らぎとは、無我、不動の「悟り、解脱した自分」を達成することであった。
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2009年09月07日

NHK生活ほっとモーニングに見入る朝。「生きて死ぬ智慧」の著者、柳澤桂子氏を知る。

台北同様、ソウルでもテレビでNHKの放送を見ることができた。
私は年々、ほとんどNHKかその教育テレビしか見ない傾向が強まっていたため、とてもありがたく、それで事足りてもいた。
だが、知人友人がほぼ皆無に近い韓国でも、毎日は慌しく、忙しく、また娘たちの視力保全のためにもゆっくりテレビの前に座ることはなかった。

それは、唯一私が見るテレビ番組と言えた朝の連続テレビ小説放送の直後だった。8時半からも「生活ほっとモーニング」をしばらくつけたままにしていると、柳澤桂子氏と、彼女の近著「生きて死ぬ智慧」を詳しく取り上げており、私は家事を一時休止し、聞き入ってしまった。

柳澤桂子氏は、御茶ノ水女子大から婚約者の待つコロンビア大学へ渡り、博士号を取得。当時とても期待された科学者であった。
ところが、30数年前、突然原因不明の病気に倒れ、研究の道は絶たれ
失意の淵に追いやられる。
サブタイトル「心訳 般若心経」、「生きて死ぬ智慧」も紹介され、私は可能な限り、一句一句走り書きで残した。日記には、
「苦の中で、苦のままに幸せに生きることができる」
という一節を記し、その境地に私も辿り着きたいと書いている。

これにも再三書いたように、私はカトリック高校を卒業し、つかず離れずカトリックの訓えのそばにいた者であったが、30半ばを過ぎたあの頃からはそれ以外にも救いを求めていたように思う。
よって、そのNHKの放送は実にタイムリーであり、私はまさにその日から般若心経、ひいては仏教にも心を寄せ始めることになった。
可愛い2人の娘、恵まれた生活環境、山積する日課のなかにあっても、
心の乾きはごまかせないところまで来ていた。

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2009年09月06日

韓国のしきたり?「嫁」の務めとは。 ソウルの我が家はやはり豪邸?!

坂下さんは30そこそこ、もともと韓国やハングル語に興味があったのではないが、縁あって韓国人のご主人と結ばれ、ソウルで暮らしていた。
韓国の姑サンはコワいと聞く。
いや、それがあたりまえ、そういう習慣があるのだろうが、たとえば同居していないなら週に数回は電話をかけ、
「お義母さん、お元気ですか?」
などと挨拶したり、様子を伺ったりしなければならず、それが毎日でもok,しない嫁はデキテナイ嫁とされてしまう。
私はそう多くの韓国在住妻と知り合いだったわけではなく、実際どういう程度のものか確定できないが、、、 姑と気が合えば苦痛ではなく、当然の習慣として定着するだろうし、そうでなければ、たかが電話一本でも気が重い務めと感じるだろうから。

ところが、坂下さんは、異国で暮らす不自由さや、夫の家族との確執、言葉の苦労などをまったく感じないかのような大らかさとたくましさがあった。ランがエマちゃんを気に入り、きゃっきゃっと遊び回るように、私も年下の坂本さんを頼りに思い、大好きになった。

自宅から徒歩5分のCOEXに時々遊びに来るとはいえ、わざわざうちまで来てくれたことに何度も感謝の意を示した。
エマちゃんは紙おむつ持参、ランも何度教えてもまだおマルでせず、紙おむつは必需品。そして、もうすぐ這い這いできるかな、というメイ、、、坂下さんは、平気、平気、また来るからね、と豪快に笑ってくれた。
そして、
「エマもこ〜んな広いおうちで遊べて楽しそう。」
と言った。坂下さんが言うには、やはり我が家は一般の韓国家庭ではほとんど見ることがない広さらしい。「宝くじに当たった気分で住んでいる」私の感覚はまちがっていなかったのだ。
自分で家賃を払っているわけでなく、私は坂下さんの感嘆に「へえ〜そうなんですかあ」と人ごとのように相槌を打った。
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2009年09月05日

江北地区まで2人子連れ電車旅は無理。でも、古賀さんより吉報、坂下さん親子来宅。

9月8日の夕方だった。
オンヌリ教会の古賀さんから電話が入る。
いろいろと活動や行事を紹介してもらったが、子連れで参加できるイベントが平日でなかなか行けそうにないと伝えていたら、毎週水曜日に開かれている親子の集まりで私たちのことを話してくれたということだった。
そしたら、ランと同じくらいの娘と毎週参加している坂下さんという女性が我が家の近所にあるCOEXに時々来ており、いつかうちへ遊びに行ってもいいと言っているというのだ。

本当にうれしい瞬間であった。やーっと前に進みそう、何とかなりそうだと確信できた。
オンヌリ教会は私たちが住んでいた江南ではなく、川を渡った江北地区にあり、平日リーが出勤して不在の時は電車かバスで行かねばならなかった。
電車、バスには乗ったことがない。ハングル語もわからない。それにランだけならまだしも、メイをベビーカーに載せて行かねばならない。
調べてみると、地下鉄駅構内はエレベーターが完備されておらず、1歳10ヶ月のランの手を牽き、ベビーカーを押したり、持ち上げたりしながら、短くない距離を移動することになる。想像しただけでゾッとした。

古賀さんの呼びかけに応えてくれた坂下さん。
電話番号も教わり、かけてみる。
そして、9月13日午後。
ソウルに来て1ヶ月半、ようやく、初めて、念願叶い、母子ともにつき合える友達が我が家を訪問。
坂下さんは170cmはある長身、カラッと晴れた青空のような女性。
娘のエマちゃんも標準より大きい。
同い年のエマちゃんとランはすぐに意気投合、2人が駆け回るリビングに歓声が響いた。
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2009年09月04日

メイ、今にも這い這い。オンヌリ教会、古賀さんとの出会い。子連れイベントなど紹介される。

メイは今にも這い這いしそうな様子、ランはそんな小さな妹に結構世話を焼き、語彙がもともと少ないものの私には日本語、リーには中国語を使い分けるようになっていた。あれには感心したものである。

期待した三井さんとの交友は途切れていたが、彼女がちょこっと口にした「オンヌリ教会」が道を開いてくれた。ソウルの日本人が比較的多く住む地域にある教会があり、そこに韓国に嫁いで長い日本人女性がいて、毎週子連れOKのイベントが催されているというのだ。
電話番号がわかったので、どきどきしつつかけてみる。

その初老らしき女性は古賀さんと言った。
事情を話すと、熱心に聞いてくれて、細かく彼女たちの活動を説明し、「ぜひご参加ください」と明るい声で何度も促された。
古賀さんの教会では、毎週水曜日に小さな子供たちのいる家庭が寄れる会と、土曜日には大人の会が開かれているとのことだった。それは日本人と韓国人の夫婦でも、日本人夫婦でもよかった。もちろん、古賀さんはうちのように台湾と日本でもどうぞ!と言ってくれた。
「いろいろあるからわかりにくいでしょ。またFAXしますね」ということで、電話は終わった。

2日後、FAXが届く。
ランの友達探し、大きな進展を見せる。感涙!
古賀さんが韓国で結婚した当時は、日本人はとても少なく、何かとご苦労が多かったようだ。
そんな経験があるからだろう、私たちの状況、心境を察し、とても温かく接してくれた。
古賀さんの言葉、FAXを反芻し、じっくり目を通しながら、差しかけられた光を今こそつかもうとするときめきに酔った。
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2009年09月03日

HP書き込みはぬか喜び?! ストレスからか、家庭内険悪ムード。ベッド到着、新たな救いの手。

ソウル日本人会のHPに、ハングル語ができない親子だが、なんとか子供と同年代のお子さんがいる家族と知り合ったり、一緒に時間を過ごせるイベントはないものかと相談を寄せていたら、ご主人の仕事でソウルに住んでいる三井さんという女性から書き込みがあった。
この時はまさに飛び上がらんばかりのヨロコビで、すぐ返信。
しかし、その後10日ほど経っても音沙汰がなく、失意の中9月を迎えた。韓国に来て1ヶ月。進展しないランの友達探しに焦りを覚える。

あの頃は他にも心痛むことがあった。
台湾とは勝手が違う職場でストレスがたまるのだろう、リーは私が作る食事にそれまで以上に不平や文句を言うようになり、だいたいそこから険悪な空気が家庭内を覆った。彼も私ほどではなくても、ひとりで遊ぶしかないランを不憫に思ったのかもしれないが、家事で行き届かぬ点を見つけ、私が忙しいのだと弁明すると、
「それなら子供ひとり、台湾に送り返しておふくろに面倒見てもらおうか」
とまで言い出した。
これには慌てたし、全身が震えるほど不安で、腹が立った。

負けるわけに行かない。自分にも、逆境にも。
そんな折、秘書キミーの助けを借り、インターネットで注文したラン用のベッドが届く。組み立て式、中学校くらいまで使えそうな立派なものだ。26000円ほどしたが、価値あるものに見える。

そして、9月に入ってまもなく、三井さんではなく、新たに手を差し伸べてくれる人が現れた。
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2009年09月02日

「ご近所さん」すら無し。ランの友達探しに奔走する。地震のない韓国ゆえ可能だったコトは、、、

山口さんに教わったソウル日本人会のHPにはいろいろ世話になった。
二胡教室探し同様、私が力を入れたのはランの友達探しであった。
1歳8ヶ月でソウルへやって来たラン。
台湾でも日本でも保育園や幼稚園へはまだ通っていなかったが、ソウルでは「ご近所さん」があるわけでなく、散歩や買物時によく似た年恰好の親子と顔見知りになることも言葉の壁があり無理だったため、ソウル在住の日本人家族と知り合う必要があった。残念ながら山口さんはまだ懐妊の兆しさえなかったので、娘たちの友達探しは0からスタートするしかなかった。

以前記したように、ソウルのマンションは幼い娘たちにとってちょっとした保育園並みの広さがあったが、社交的で人見知りしないわんぱくランに一人も遊び相手がいないのは不憫のみならず、彼女の情緒的成長にもよくないと思われた。
「ママ、一生懸命ランのお友達探すからね」
と自分自身をも励まし、吉報を待った。

8月20日を過ぎると、時折涼風が吹くようになった。
日本でも早い年はその頃から秋を感じることもある。湿度やその涼しさなどが日本のその時期と酷似していた。その後、また残暑がぶり返すところまでそっくりだった。
その頃生まれた新たな習慣は、午後、生後7ヶ月のメイが午睡中、もしランが起きていれば、2人で出かける散歩である。
赤ちゃんを一人残して無謀な!と思うこと勿れ。
マンション11階に住んでいた台北では絶対できないことだが、ソウルでは可能だった。
それはまず、台湾とちがい、韓国では地震がないこと。これが大きかった。台北ではちょっとしたゴミ捨てに行くにも、地震が怖くてできなかった。万が一の時、助けてやれないと思ったからだ。
そして、マンションはちょっと高台に建っていたので、半径100〜200mくらいにいれば様子が見て取れ、また我が家が見える範囲を出ることはなかった。広くはないが庭があり、小さな噴水や植木、花、ベンチもあり、そこでランを遊ばせることも多かった。
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2009年09月01日

キミーは台湾留学経験ありの秘書。マンション管理人、テイさんは元高校教師。彼の存在に助けられる。

リーの台湾本社出張は毎月あり、数日間とは言え、週末にかかる時は特に緊張を強いられた。その地の言葉ができないということは、実に非常に肩身の狭い思いをさせられると痛感する。
平日なら、台湾の大学に留学していた、中国語を解すリーの秘書が隣りのビルに出勤しているので、まだ気は楽だった。何かあれば、すぐ来てもらえると思えたし、彼女も常に私たちを気にかけてくれていた。
彼女はキミーという30代前半の独身で、私と同じ一人っ子、両親と同居していた。リーは時々、キミーの中国語の書く能力に不満をこぼしたが、私と会話する上では何ら問題はなかった。ランやメイも可愛がってくれた。

キミーが出勤して来ない週末にリーの出張が当たると、頼みはマンションの管理人に移行した。キミーの携帯番号は知っていたが、彼女の自宅から我が家までは1時間ほどかかったし、実際、数人いた管理人の男性は交替で24時間詰めており、日頃から顔を見れば親しく挨拶を交わし、信頼も寄せていた。

中でも、管理人長らしい70歳になろうかと思しきテイさんは勤務回数が多く、年齢のわりに(失礼!)英語が少しでき、日本語の単語もちらほらわかったし、人の良さそうな笑顔が何より私たちを和ませた。たしか高校の先生をしていて、退職後家でぶらぶらしていてもつまらないと、その仕事を始めたらしかった。
アンニョンハセヨ〜くらいしかまともに話せない私だったが、身振り手振り、英語もまじえて、わかったのかわかってないのかはっきりしないまま、互いに笑い、頷き、手を振り合ったりして、それでも通じ合う実感を喜んだ。
テイさんにとって、ちょうど孫ほどのランやメイを見るたび、「オ〜!!」とやわらか笑顔で近寄り、抱き上げたり、頭を撫でたり。
娘たちもすっかり彼になついていた。
リーの留守時、テイさんが特に夜勤だとうれしかった。
管理人室の中や、そのドア付近にパイプ椅子を出し、腰掛ける彼の姿を思いつつ、ひと晩何事もなきことを願い、眠りについたものである。
posted by マダム スン at 05:40| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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