2009年09月30日

娘たちとの雑魚寝、二胡レッスン、メイ満1歳の予防接種などに奔走。台北で新年を迎え、愛しのソウルへ帰還。

その年の旧正月は1月29日だった。
リーは27日にソウルから台湾に帰国、2月1日家族4人で再びソウルへ帰る予定になっていた。
よって、ランとメイを伴っての義母宅居候は2週間を超える長丁場となった。
幼い娘たちとの雑魚寝は当初私を戦戦恐恐とさせたが、畳敷きで10畳以上ある広さだったので、何とか彼女らの「蹴り」や「体当たり」から逃れて安眠するスベを習得した。

旧正月前、慌しく、浮かれ気味の台湾。
私はここぞとばかりに二胡を習っていた音楽教室に連絡し、レッスンを入れてもらったり、メイの予防接種に奔走した。まずは水痘。翌週には麻疹だ。
ちょうどあの期間、義母の機嫌があまり良好でなく、私は外出しづらかった。台湾にいる間にいろいろ用を足したかっただけに難儀したものだが仕方なかった。リーの帰りを首を長くして待った。いや、それ以上に、早くソウルの我が家に帰りたかった。

しかし、ランかメイをひとり台湾の義母に預ける、というオソロシイ構想は、この時期の子守りに前向きでない彼女の姿勢から立ち消えになったのは、私にとってありがたい収穫であった。
多趣味で家事育児にも忙しい私は、腰痛の悪化が気になりつつも、やはり娘たちを自分で育てたかった。海を隔てて義母に任せるなどとんでもないことだったのだ。

1月のその頃は義母の誕生日と結婚記念日が連なっており、ケーキやワインなどでお祝い。
そして、無事新年も迎え、待望の2月1日が訪れた。ソウルに帰れる。
心が躍った。ソウルはすっかり私にとって落ち着ける場所、あの家こそ「我が家」になっていたのだ。
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2009年09月29日

長女は文系、次女は理系? 義母と台湾へ。ソウルと台北の気温差に苦しむ。

つかみに行った物が体温計だった印象が深いからかどうかはわからないが、2人の娘を見ているとランは情緒豊かで感性で動く文系、そして、たしかにメイは諸事を冷静に観察してからどう対応するか判断できる理系の脳を持っているように思えてくる。それはソウル時代から数年経った今でも変わらない。

さて、旧正月が近づいていた。韓国も台湾もだんだん迎春モードに入りつつあり、リーも1週間ほど休暇をとれることになった。
そして、メイの誕生日の翌日、私たち母娘3人はリーより一足先に義母とともに台湾へ帰ることになった。
早朝7時にリーの会社が手配してくれたタクシーがマンション下の定位置に迎えに来て、仁川空港へ。
二胡を肩から提げ、2人の幼子をあやしながらの旅はいつものことながら疲れる。台北までの飛行時間は2時間ほどだが、荷物は重いし、娘たちは乗り物の中では寝ないし、、、、、

それでもなんとか台湾時間の正午過ぎに義母宅着。
日曜日で会社が休みの義妹が昼食を作ってくれていた。彼女は食品栄養学の修士課程を修了し、桂冠という台湾大手の食品メーカーに勤務していた。

例によって、台北の我が家には主要な家財道具がなく、義母宅に居候することになる。
帰国早々、最寄りの銀行へお金を出しに行ったり、娘たちのMとLサイズの紙おむつを買いに行ったりと忙しい。暑い。
それもそのはず。1月半ばなのに、台北22度。汗、、、、、
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2009年09月28日

魔の2歳の信憑性は? ラン反抗期突入。韓国は旧正月を祝う。1月半ば、メイ満1歳に。

「魔の2歳」と言う言葉を初めてあの頃耳にしたが、その信憑性を裏付けるかのようなランの行動が見られた。
1年2ヶ月ほど小さい妹のメイを抱っこしたり、世話を焼いたりする反面、たたいたり、大人から見ればいじめたりすることはしょっちゅうだし、義母に「走開!」とか「討厭!」を連発する毎日で冷や汗ものであった。
「走開!」は「あっち行け!」。
「討厭!」は「うざい」「うっとうしい」などという意味だ。
いくら2歳の孫とはいえ、何度も吐かれると気分は良いはずはない。
メイへのいじめ、祖母に対する失礼な言動で、ランはたびたび義母に叱られていた。

韓国は中国、台湾同様、旧正月を祝う。
だが、NHKだけは年末特集番組が増え、私は紅白くらいは、と家事育児の隙をねらって観戦してお正月を迎えた。

1月。
12日にパリス バゲットにメイのバースデーケーキを予約しに行く。
そして14日、メイはめでたく満1歳になった。
土曜日で、夜はみんなで外食。帰宅後、チーズケーキで祝う。主役の小さなメイも少しは食べることができた。義母もうれしそうだ。この日のために20日間ソウルにいたようなものだったのだから。

食後の、いわばメインイベントがまだあった。
満1歳の子に這い這いさせ、ズラリと並べられた物品のなかで何をつかむかを見る、中華圏ではお馴染みの行事だ。ランはケータイをつかんだものだ。
さて、メイは、、、、、
じゃじゃ〜ん、体温計である。
「これは医者だな。」
思わぬ結果に沸いた。
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2009年09月27日

義母はほとんど外出せず編み物。COEXの書店で、ランに「アルプスの少女・ハイジ」を買ってやる。夜の物語りもスタート。

ラン出産後始まった腰痛は、ソウルに来ても私を悩まし続けていた。できるだけ我慢したが、どうにも耐えられなくなると、日本から持参した薬を改善するまでしばらく服用した。
義母も腰痛を持っていて、身体のわりに足が細いせいか、年齢のせいか定かでないがよく転ぶ。また、リー同様、暑がりなのに南国育ちゆえ寒さに弱いのもあり、夏来た時とは一転して見事にほとんど外出せず家にこもった。風邪をひくと自分も困るし、幼い孫たちにうつしてしまっては大変、という理由もあったようだ。

トータルすると、義母が来て以来、私はいっそう忙しくなった。
娘たちの紙おむつ替えやメイの食事やりなどは任せたが、一人増えると食材が早く減るため、買物に行く頻度は高くなった。
義母が作ったり、義母に教えてもらえる新しいメニューに挑戦もできたが、基本的には私が台所の主のままだった。そう願うのが本音でもあった。

広いとはいえ、20日間もマンションの部屋にこもるのは想像しがたいかもしれないが、時々うっすら積もる雪道で転倒することを義母はとても怖れたし、なんといっても彼女は編み物が得意で、今回はたくさん毛糸を買って持って来ていたので、来る日も来る日も修行僧のように編み物をして過ごした。
私は義母が編み物をしている姿が好きだったし、それを終え、彼女が暇を持て余すようになるのがおそろしくて、台湾へ帰るまで持って来た毛糸がなくならないことを強く祈念したものだった。
義母が外へ出るのは、WALL MARTへの買物か外食の時のみであった。

義母が来た翌日、私はCOEX内の大きな書店で児童名作文学シリーズの「アルプスの少女・ハイジ」をランに買ってやった。日本語の本は充実しており、ありがたい。本好きな2歳のランは字は解せないものの、喜び、はしゃいだ。
読み聞かせるだけでなく、就寝時に物語りをしてやるのが習慣になったのもこの頃だった。
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2009年09月26日

厳冬でも雪が少ないソウル、大寒波でもたいして降らず。リー台北出張から義母を連れて帰る。

その後、パスポート受領時も林さん親子に同行させてもらった。
ご主人には運転手をお願いしたし、ビール、ビスケット、ドレッシングなどをお礼として渡した。

12月は18日に2度目の雪、そして4日ほどではないが積もった。
そして、20日夜からひどく冷え込んできたな、と思っていたら、天気予報は当たり、翌日に雪。
11月頃からどんどん気温が下がり始め、12月に入って早々積雪があったが、思ったより量は少ない。聞くと、韓国北部のソウルは雪が少ないのだそうだ。
確かに、気温は低く、プラスにならない日も多いわりには雪はあまり降らないし、大雪にもならなかった。

しかし、空気は乾燥する。肌質がちがうのだろう、メイはそれほどではないがランはほっぺや唇がかさかさ、赤くなり痛々しい。あれこれ工夫してやるが、なかなか回復しなかった。

クリスマスが近づいてきた。
その頃リーは6泊7日という最長の台湾出張が入った。
こう長いと食材不足に陥るため、秘書キミーの都合の良い時間に1時間弱留守番に来てもらい、現代百貨店などへ急いで買物に出たこともあった。娘たちもすっかり彼女になつき、喜んで遊んだ。感謝感謝。

さあ、12月26日。
実はこの日、リーは台北から義母を伴って帰って来た。1月のメイ満1歳の誕生日を一緒に祝い、15日に台湾へ帰国するというスケジュールと聞かされていた。

20日間。

義母は7月末、私たち母娘が初めてソウル入りする時も一緒に来て2週間ほど滞在したことがあった。
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2009年09月25日

日中でもプラスにならず、雪なかなか溶けず。ソウルの日本領事館へ林さんとパスポート申請へ。

日中でも気温はプラスにならず、降った10cmの雪はなかなか溶けなかった。
室内はオンドルで常春だが、外出時にはレッグウォーマー、耳ウォーマー、手袋、マフラー、ロングコートの重装備でちょうどよかった。
零下10度以下になろうとも、散歩は毎日欠かさなかった。早朝まだ暗いうちに家を出ると、夜明け、朝焼けの時刻と重なり、幻想的な風景に出会える。その美しさには思わず感嘆のため息が漏れるほどで、静寂のなか、世界が自分だけのものになったようなやさしい孤独と感激に包まれる。どうしても外気に触れてしまう顔の一部はとても冷たかったが、歩いていると温まり、一日の至福の時間とも言えた。

さて、そろそろ私のパスポート有効期限が終わりに近づいているのが気になってきていた。
たまたま林さんが来宅時にその話題が出て、ミクちゃんのパスポートを申請したいことがわかり、初雪の4日後、林さんのご主人の車に同乗し、一緒にソウルの日本領事館へ行くことになった。その日は木曜日ながら、ご主人は休暇をとることができた。そして、私もリーに正午のお昼休みからメイの守り兼留守番を頼み、ランと2人出かけた。

領事館も江北側にある。橋を渡り、だいぶ見慣れてきた街を走る。
ラン、ミクちゃん連れのこと、なかなか時間をとったが、無事受理されホッ。今回も10年間有効のもので、今あるパスポートはソウルで取得した記録が残っている。

リーが待つ家に急いで帰る。わ、午後4:20、彼とバトンタッチ。
疲れたが、休む暇なく家事になだれ込む。洗濯はまだだし、メイのお風呂も。加湿器をつけても乾燥し、娘たちにはお風呂上りベビーオイルやクリームを塗ってやっていた。
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2009年09月24日

12月4日、ソウル初雪、積雪10cm。韓国の冬は快適、オンドルさま様。

11月から12月にまたがるリーの台湾出張時、便箋びっしり4枚の手紙をスーツケースにしのばせた。
直接交渉のみならず、手紙やメールによる手段はたびたびとった。
今から思えばたいして効果は発揮しなかったが、何もしないではいられなかった。

4泊の台北滞在を終え、韓国・仁川空港に着いたリーが電話をかけてきて、雪が降っていると言う。
前日は昼間でもやけに寒いと思っていたら、12月4日、ソウルその冬の初雪。もちろん私たち家族にとっても韓国で初めて見る雪が降り、10cmほど積もった。
雪は降る前が最も寒いと聞くが、実に然りで、3日はオンドルをつけてもシンシンと冷えた。そうかあ。雪が近づいていたのだ。

台湾育ちのリーにとって雪は新鮮で珍しい自然現象の一つだが、ランとメイにとっても生まれて初めて見る雪となった。ソウルで買ってやった防寒ズボンや毛糸の耳まで覆う帽子を被り、リーがしばらく庭で遊んでやっていた。写真もたくさん。
日本育ちの私、2階の部屋から「わ、寒そーっ」とそんな彼らを眺めるのみ。雪はもうたーっぷり見てきた。

そうそう。オンドル。オンドルさま様。
予想に反して、私を韓国を好きにさせた最たる立役者と言える韓国伝統の床暖房。愛しのオンドル。
これは実にすばらしい。さすがに韓国の冬は冷える。日本の実家も山裾にあるため、毎冬零下にまで下がるが、いっても零下3度止まり。
しかし、ソウルは、ちょっと今日は冷えるな、と感じたら零下8度くらいだった記憶がある。私のソウル滞在中、最低気温は零下18度。
とにかくソウルの空は平気な顔していとも簡単に気温を下げるのだ。
ところがスイッチをONにしてオンドルを入れると、床がモアモアと暖まる。ファンヒーターの熱風による乾燥や石油ストーブの危険などどこ吹く風で、足元から温まり非常に快適である。
愛しのオンドルさえあれば、韓国の冬は暖かいのだ。
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2009年09月23日

2度目のインフルエンザ予防接種は気のいい同僚の車で。娘の成長を願い、喜びながらも傷心の日々。

親子そろって2度目のインフルエンザ予防接種は11月22日決行となった。
こういう日に限って、ランもメイもなかなか昼寝をせず、キミーに何度か電話して、結局午後4:30に例の小児科へ同行してもらうことに。
そして、その日は秘書のキミーと、ジェニーという35歳くらいの独身女性社員が自ら運転し、送って行ってくれることになった。
ジェニーも朗らかで、子供好きな様子。私が何度も申し訳なく礼を述べると、いいのよいいのよ、これくらいのこと、と明るく笑い、娘たちを見て、目を細めている。
ありがたいことだ。

リーの台湾本社出張は毎月一回のペースで続いていた。
だいたい2〜4泊だが、その間無事暮らせるよう気が張った。
週末に当たった時は、キミーの自宅の電話番号を再確認し備えた。
日課の早朝散歩は、8階建てのマンション内の階段を何度も昇降したり、ごく近場のみを歩いた。

リーはほうれん草、ニラ、オクラ、茄子などが好きではないが、まったく食べないわけでもない。
しかし、相変わらず会社でのストレスを自宅の私の前で発散する構図は変わらず、
「あまりキュウリは好きじゃないんだ」
とか、
「毎朝卵を食べてるんだから、昼に卵は使うな」
とか、それまで生活していて一度も言わなかった苦情を突然発するので驚いたり、腹が立ったりする日々であった。
あれはダメ、これも嫌い。
昼、夜ともに自宅で食事する彼にそんなことを言われると、何も作れなくなる。
道路が渋滞しても、ランが彼の午睡時にぐずっても、その原因を私の何かに結び付け、責めたてる。
日本の両親や林さん、親しい友人だけに、その苦しみを打ち明けずにはいられなかった。幼い娘たちの成長を見て、喜び、この子らをしっかり守るのだ、という戒めに支えられながら、心に傷みを負う毎日でもあった。
それまでほとんど興味がなかった般若心経に惹かれ、柳澤桂子氏の名著・「生きて死ぬ智慧」をすがるように読んだあの頃。
心の平安が欲しかった。
相手を変えられぬなら、自分がそれまでと異なる者になるしかなかった。
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2009年09月22日

韓国にポッキーの日?! 週末は外食。骨付き豚肉とじゃがいも、カムジャタンは絶品。

オンラインゲーム先進国の韓国。
ソウルでゲームショーが開催され、リーは連日台湾から来た同僚と会場を訪れたり、接待やつき合いやらで帰りが遅くなっていた11月半ば前、韓国に「ポッキーの日」なるものがあることを知った。11月11日
全部「1」。最も足繁く通ったベーカリー、パリス バゲットの店先にも特設売り場が設けられ、「1」の形のスペシャルなパンを売っており
可愛かったので一本購入した。

週末、土曜か日曜のいずれかの夕食は外食と決めていた。
台湾と異なり、韓国での外食は安くないが、気分転換や私が家事をひと休みするためにリーは惜しまずこの習慣を続けた。
しかし、毎回私はランのお弁当を作り、持参したものだ。
だんだん大人と同じものが食べられるようになっていたが、さすがに韓国、辛いものが多くてランは手が出せないのだ。

私が、おそらくリーもだが、韓国で一番好んだ料理は「カムジャタン」だと思う。骨付き豚肉とじゃがいもなどを用いた辛い煮込み料理である。
自宅から徒歩5分ほどのところに、それのおいしい店があり、畳敷きでランとメイの子守りもしやすくほぼ毎週通っていた。
12月だったか、その店がのれんを下ろしてしまい本当にがっかりしたが、リーがソウルの同僚に連れられて行き、おいしいとわかった別の店に引き続き通った。COEXよりも向こうになり、歩くとかなりの距離だったが、カムジャタンの美味には抗えなかった。そこも畳敷きなのも魅力だった。
大人数だと、大きな鍋で注文できるし、リーと私の週末のように、一人前の小鍋もある。例によって水同様に無料のキムチをバリバリいただきながら、熱々のカムジャタン。
韓国に行かれたら、ぜひご賞味を。
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2009年09月21日

ソウルで地下鉄初乗り。古賀さんと特別晩餐会で初体面。豪華な催しにびっくりする。

渦中の林さん母娘と翌日地下鉄で出かけることになった。
私とランにとってはソウルで初めての地下鉄体験である。
古賀さん主催で毎週行われているオンヌリ教会こひつじ会という親子向けの集まりが特別晩餐会を開くことになり、招待されたのだ。
土曜日午後3:30にCOEX内にある地下鉄の駅で待ち合わせ、良才駅近くのホールを借りた会場まで歩く。

立派なホール1階の会場は、子供たちの心奪う可愛い飾りつけや遊具が準備されていた。
そして、この時私は古賀さんと初体面する。
張りのある聡明そうな声の持ち主であったが、初老ながらとても品のある女優のような美しい女性なのに驚いた。ソウルに来てから本当に世話になりっ放しで、何度も礼を述べた。

アトラクションや豪華なご馳走、気前良くプレゼントもたくさん!
ランもミクちゃんもご満悦である。
帰りは林さんの例のご主人が車で迎えに来て、私たちの自宅そばまで送ってくれた。
初めて見るご主人、噂どおり流暢な日本語を話し、やさしい印象を受ける。
林さんより2歳年下の彼、ふだんは林さんに遠慮する面もあるそうだ。
可愛いミクちゃんもいるのだし、何とか仲良くやってほしいと思う。
晩餐会の盛況振りを私たちが彼に話すと、
「宗教団体はお金持ってるんですよ」
とのこと。
それはたしか台湾でも聞いたことがある言葉であった。
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2009年09月20日

ママ友、ひとりは日本経由アメリカ行き。もうひとりは夫、姑の言動に悩む。国際離婚の危機ここに。

ソウルに来て3ヶ月。
メイがつかまり立ちできるようになった。
ランは紙おむつナシ練習をさせるがなかなか成功せず。
リーは私の作った物に文句を言いつつ、昼も夜も家で食事、手も気も抜けない。
外は、緑、黄、オレンジのすばらしい紅葉、外出が楽しくなる、そんな時節を迎えていた。

待望の第2子を懐妊した坂下さんが韓国を離れるという。
まだ数回しか会っていないのに、早くもさよならかと思うと残念でならない。ご主人がツテあって、アメリカの会社に転職することになったのだ。
一旦家族で日本の坂下さんの実家に帰り出産し、その後渡米するらしい。パワフルな彼女のこと、夫婦仲も良さそうだし、どこへ行ってもうまく自分の愉快な世界を構築して楽しんでしまうだろうと想像できる。
思いも寄らず、こんなに早く、ひとりの友人を見送ることになってしまった。

しばらく連絡がなかった林さん。
彼女は坂下さんと異なり、かなりご主人や姑のことで悩みが多かった。ミクちゃんが時々熱を出したり、林さん自身が疲れて体調を崩すこともしばしばあり、心配していた。

11月4日、久しぶりに林さん母娘来宅。
予定より遅くなったのは、ミクちゃんが道路に落ちている落ち葉を踏んだり、手にとって遊んだりするためらしかった。
林さんはソウルの大学時代、ご主人と出会い、彼女から恋に落ち、結婚した。大学院進学をあきらめて結婚したくらいだから、当時の林さんがいかにご主人に惚れ込んだかがわかる。
ところが、だ。
暮らしてみると、林さんが好まない生活習慣や態度が目に付くようになる。
家では日本語、というほど、ご主人は日本語が上手だ。ご主人の家族も日本語ができるので、林さんは日本語で話し、家族はハングル語で答えるという図式である。
その点は恵まれているが、ご主人の金遣いが荒く、会社の接待に便乗して連夜帰りは遅い、そして、彼の母親は突然家に遊びに来るわ、息子と孫娘は可愛いけど、アンタはオマケみたいな態度をとるとう。
また一方で、「男の子だったらよかったのに」「次は男の子を産みなさい」攻撃が絶えない。韓国の家族とのつき合いに嫌気が差して仕方がないようなのだ。
離婚、という言葉まで林さんの口からこぼれるようになっていた。
国際離婚? どうなってしまうのだろう。 
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2009年09月19日

深まるソウルの秋。湯船が欠かせない夜。ラン、満2歳のバースデーにはキティ枕。

本当に広かったソウルのマンションには、メインベッドルームの奥に6畳ほどの洗面所とシャワールームがあったが、玄関横の小さめのバスルームにはバスタブ有りの洗面所が設えられていた。
さすがにソウルの秋は早く深まった。
10月下旬に入った頃から、私はランとその小さい方のバスルームを一緒に使うようになった。冷えて、夜は湯船で温まりたくなってきたのだ。香りのいいバスオイルなどを入れ、お風呂グッズでしばらく遊ぶのをランは毎晩喜んだ。

10月末のランの誕生日はちょうど日曜日と重なった。満2歳になる。
私もリーもケーキは苦手だが、ランのために「おとなしそうなケーキ」を購入することにした。
そして、ランが欲しがったプレゼントは、なんと枕!
そこで、4人そろってCOEXへ出かける。

週末のCOEXはさすがに平日と全然様子がちがう。
なかなか前に進めないほど混み合うこともある。子供服売り場が少ないCOEXだが、サンリオショップがあり、そこでキティちゃんの座布団を見つけ、それに決まる。
なぜ座布団なのか。
枕もあったが、いくら子供用でもまだランには大き過ぎた。キティ座布団は大人のお尻がはみ出そうなくらいのサイズで、椅子に掛けられるよう紐がついており、持ちやすいよ、と言うとランはペコリと頷き同意した。

午後、美人店長のいる、例のベーカリー、パリス バゲットで、好みのま〜るく「おとなしいケーキ」とシャンパンと三角帽子をゲット。
写真あり、ビデオ撮影ありのにぎやかな夕べとなる。

街路樹は急速に紅葉していた。
11月1日、日課の早朝散歩で初めて手袋着用を試みると、温かくとても気持ちよく、歩きを楽しめた。
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2009年09月18日

リーの反対に遭い、二胡の先生ではなく、紹介者の藤吉さんとの交流始まる。流暢なハングル語、彼女はソウルのいちOL。

実は、韓国での二胡レッスンに関してはひと悶着あった。
私の「二胡の先生求む」のHP書き込みを見て、その藤吉さんは返信してくれたが、リーが「待った!」をかけたのだ。
藤吉さんは20代後半、長野出身のボーイッシュな女性で、ハングル語を長く勉強し、ソウルで仕事をしていた。
藤吉さんがソウルで大学在学中からの友人に二胡がとても上手な人がいるとのこと、その友人は中国出身で幼い頃から二胡を学び、父親が経営する会社が韓国の会社と深いつながりを持っているためソウルに来た。彼女本人は音大で専門的に二胡を学ぶ意志もあったそうだが、父親の事業を将来サポートするために別の学部を選んだという。

「彼女がいつか大学でイベントが行われた時、彼女の二胡を知る人に勧められ、みんなの前で演奏したんです。それはもう上手で、ふだん大人しい彼女にそんな才能があったのかという驚きもあって、衝撃を受けました。頼まれてソウルでも教えていて、今は忙しくすぐには無理そうですが、スンさんのことを話したら前向きな返事をくれました。」
と藤吉さんは眼鏡が似合う、少年のような面持ちで答えた。

ところが、リーが反対した。
こんなご時世、物騒な事件も多く、極力、他人を自宅に入れたくないと言う。坂下さんや林さんたちの来訪には何も言わなかったので意外であったが、二胡レッスンのその件になると不機嫌になるため、衝突を避けるため、私はあきらめるしかなかった。
だが、電話で話す藤吉さんに好感を持ち、気が合いそうで、おかしな縁で彼女との親交が始まったわけである。
藤吉さんはソウルで会った日本人の中で最も流暢なハングル語を話した。彼女が来た時には、気のいい管理人のテイさんにふだん言いたいことをいろいろ通訳してもらえて嬉しかった。
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2009年09月17日

寒い韓国では私もインフルエンザ予防接種。二胡先生探しに進展あり、藤吉さん来宅。

「台湾と日本の片隅で」のブログなのに、すっかり韓国一色という感じだが、とにかくマダム スンは夫リーの転勤に伴い、ソウルで暮らし、3ヶ月になろうとしている場面に来ている。

9月下旬から家族全員一巡した風邪騒動がようやくおさまったので、10月17日、秘書キミー同伴でインフルエンザの予防接種を受けに行く。
保健所に問い合わせると、ワクチン不足で老人以外は民間の医療機関で接種するよう言われ、この前メイが診てもらった個人医院へ行くことになった。
ランは毎年台湾でも流感の予防接種を受けたが、韓国は寒く、インフルエンザも流行しやすいだろうということで、母娘3人とも接種するつもりでいた。聞くと、キミーもだいたい毎年受けるようだった。
ところが、ランは問題なく打ってもらえたが、メイは検温すると37.5度もあり、延期となる。私もメイが回復してから同日受けることにする。
ちょうど1週間後、無事メイと私の予防接種完了。ホッとする。ワクチンには15000ウォンと20000ウォンの2種類があり、私は安い方、娘たちには効果が高いという20000ウォンのを打ってもらった。

さて、かなり前にソウル日本人会のHPの書き込みのことを書いたが、二胡の先生探しに進展があった。知人に二胡が上手な中国人女性がいる、と藤吉さんという女性のメッセージが入ったのだ。
10月下旬に入ったばかりの頃、林さんミクちゃん親子が遊びに来てくれた2日後、その藤吉さんという人も初来宅のはこびとなる。
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2009年09月16日

美しき漢江の流れ。江南は新開発地域。初めて江北を訪れる。

ソウルを東から西に流れる漢江。
これを境に東側を江北、西側を江南と呼び、私はこの江南の方で暮らしていた。
リーが東京から帰った翌日、台商協会の中で最も親しくしていた張さんが私たち一家を昼食に誘ってくれた。自宅近くの大通りまでマイカーで迎えに来てくれて、にぎやかに出発。
張さんはもう長く韓国に住んでおり、ソウルにもとても詳しい。
リーよりかなり年配で、一見無愛想だが、こうした厚意ある人物で意外に子供好きであることがだんだんわかってきた。

この日、私と娘たちには韓国に越して来て以来、初めて江北地区に足を踏み入れた。
江南地域はわずか数十年前に開発が始まったばかりで、日本でいう高層マンションに相当するアパートブームを巻き起こし、誰もが憧れる街づくりを目指し発展してきた。高級レストランや有名ブティックが多く、洗練された雰囲気をかもし出している。
一方、江北地域は歴史的文化財が豊富で、明洞、東大門市場、南大門市場など、おなじみの繁華街があるのもここである。

初めて越える漢江は美しい。ランもうれしそうだ。
張さんは車を駐車場に停め、目当てのレストランまで歩く。たくさん様々な店が並び、しばらくショッピングに耽りたい気分だったが、張さんを待たせるわけにもいかない。聞いていたように、たしかに江北の方が物価が安いことをはっきり実感する。
「また、家族だけで来たらいいよ」
と、リーが言う。そうできればいいけど。

木造りの立派なレストランで張さんおススメの品々をおいしくいただく。11:00すぎに着いたが、そのうち広い店内は満席に。人気店のようだった。
ソウルの別の一面を垣間見る、貴重な一日になる。
ソウル支社を遠くない将来にたたむかもしれないとの社長の弁を、数日前リーから聞いた。
いやだ。ソウルを離れたくない。
私は心からそう思うようになっていた。



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2009年09月15日

10月中旬、空気は乾燥、肌寒くなる。奉恩寺へ散歩。東京出張のみやげに沸く。心訳、般若心経ベストセラー「生きて死ぬ智慧」を手にする。

10月中旬。晴れても気温はあまり上がらず、手のひらが乾燥するようになる。
リーは東京へ発った。娘たちはパパがいないなりに、いい子にしていてくれる。とても気持ちよく晴れた午後、久しぶりに母娘3人で散歩に出かける。ランは自分で歩き、メイはベビーカーに載せる。

自宅からCOEXモールの新しく大きい建物を右手に見ながら、奉恩寺へ歩く。その道ではたびたび日本人観光客に出くわした。だいたいが家族連れで、日本語を聞かなくても身なりや行動で日本人とわかるものだった。
奉恩寺は立派な造りで、庭も広く、多くの信者を抱えていることが見て取れた。宿泊や研修もできるようだった。
私たちは初めてゆっくり、その広い敷地内を散歩してみた。売店があり、お寺のグッズや食品あり、玩具や子供服まで売るコーナーがありびっくりする。それも物価の高い韓国にしては割安で、一枚ランの長袖Tシャツを買う。

2泊3日の東京出張と私たちの留守番も無事終わり、頼んでおいた「日本みやげ」を喜々として開ける。
ランに「ベビーブック11月号」、高野豆腐、コンソメ、ビーフシチューのルーなど。コンソメがここでは手に入らないことを韓国日本人会のHPで知っていたのだ。
そして、NHKの番組で知った柳澤桂子著の「生きて死ぬ智慧」を手に取り、神妙な想いに浸る。
posted by マダム スン at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月14日

CDデッキ落下に修正液撒き散らし事件。ママはクタクタ。ソウル生活軌道に乗る。リー、東京出張。

一家そろって風邪状態の10月上旬。
私は前の年から起きるようになった腰のだるさが再来してもいた。
我が家玄関を手直しするとマンション管理室から連絡が入り、朝から職人さんがやってきてにぎやかになる。5月に完成したマンションだがまだ手を入れたいとのことだった。
秘書のキミーも来て、職人さんとの会話を助けてくれる。

お客様が来て、ランはぴょんぴょん、メイは這い這いして興味津々、見に行く。
その日はすさまじかった。
午前中、二胡を弾いているとものすごい音が!
一番小さいベッドルームの卓上に置いていたCDデッキのコードにひっかかったらしいラン、デッキは床の上に落下、、、、、
かろうじて音は出るが、CDを収める部分は破損、よほど丁寧にうまく入れないと蓋が閉まらない。

その午後も強烈だった。
ちょっと目を離した隙に、ランが私の修正液を床に撒き散らしているのだ。
やめなさーいっ!!!
借りている新築の家、汚してはいけないと雑巾で貧血になるほど拭く。なかなかとれないが拭くしかない。ランの足の裏にも修正液。めまいがする。
夜にはふらふらになっていた。
でも、リーに疲れたと愚痴ることは許されない。ランかメイを台湾に返し、義母に預けるとまた言い出すのを怖れていた。

幼い子らとの生活はこんなものなのだろう。
そう観念するしかなかったし、元気でいてくれるだけで感謝、と思い直す。
坂下さんと林さんが、
「急だけど、今日午後遊びに行ってもいいですか?」
と電話してきてくれたりするようにもなり、ソウル生活は軌道に乗り始めてもいた。
その頃、リーが東京へ出張することになり、「時間があればお願いね」と、買って来てほしいものリストを作成する。
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2009年09月13日

風邪。通訳同伴、メイを小児科へ連れて行く。加湿器購入、冬支度。ソウルに愛着。

林さんとも意気投合し、メルアドも交換。
昔から、おおぜいと行動したり騒いだりするのが苦手な私は、気の合う二組の親子と知り合って、今後も付き合って行けることで十分満足感を実感していた。オンヌリ教会の古賀さんにも時々近況を伝え、そちらの行事には遠く、不便で参加できないが、娘たちも楽しそうで、感謝していると言うと、自分のことのように喜んでくれた。

10月に入った。ランが風邪をひいたが、意外と早く治りかけていると見えたのは、メイにうつしていたと判明。夜、メイがどうもぐずって泣くなあ、と思っていたら、昼間もすぐ泣き、鼻水を出し始めた。呼吸もふだんとちがう。
その日は我が家に山口さんが午後2時に遊びに来てくれたのだが、事情も事情、リーの秘書、キミーに電話して、小児科へ同行してもらうことにした。4:30のことだ。

自宅から地下鉄清潭駅に向かう途中にアパート群がある。
その隅にある2階建ての小さなビルにブテイックや美容院、医院がいささか窮屈そうに入っており、キミーはそこの2階にある小児科を紹介してくれた。娘たちはその後も何度かそこで世話になる事になる。
ランはリーに見てもらい、キミーと、ベビーカーを押す私は徒歩で向かった。10分ほどで着く。
外国人ながら、リーは然るべき手続きを済ませていたので、保険が利いたし、キミーの通訳で滞りなく診察、コミュニケーションは進んだ。
診察後は1階にある薬局で薬をもらうシステムになっていた。

ランの風邪もすっきりせず、リーにまでうつってしまった。
数日後にはとうとう私まで、、、、 ひどくはならず、週末にはWalMartへ買い出しに行き、5600ウォンの加湿器を買い、冬の乾燥対策を進めた。
そして、その日の日記に「ソウルが好きだ」と記している。
韓国に来て2ヶ月、もともと順応性は高い方だと自負していたが、もうそんなところまで私はソウルの生活に馴染み始めていた。
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2009年09月12日

ソウルの残暑に喜ぶ。坂下さん、林さん母娘を連れ来宅。そして、うれしい報告。

9月も下旬、私はかねてから韓国の冬を非常に怖れていたため、日本の多くの9月同様残暑があり、半袖を片付けてしまえない天気を喜んだ。
ランにひと部屋与え、ネットで購入した幼児用ベッドでひとり寝る習慣をつけようと特にリーが頑張ったが、泣いたり、パパかママが一緒に寝てくれるのをずーっと待ち続けたりと苦戦続き。1歳11ヶ月、やはりまだ無理なのだろうか。

さて、そんな9月の最終水曜日だった。坂下さんがオンヌリ教会の子連れ定例イベント後、友人とその娘を連れて遊びに来てくれた。
坂下さんより少し年長の林さんと、ランと同い年のミクちゃんだ。
林さんはソウルの大学に留学、そのまま知り合った韓国人男性と結婚し、ミクちゃんを出産した。本当はソウルで大学院まで行きたかったらしいが、結婚のため一旦断念したと言う。
坂下さんとは対照的で、身長は私より少し高いくらいで、とても華奢な色白サンである。
だが、ミクちゃんは丸いオデコが印象的な丸顔、林さんにはまったく似ていない。
「めちゃくちゃ夫似なんです。」
と苦笑いする。
坂下さんは、一回会っただけだが私の個性や趣味などを考慮した上で林さんと話が会うのではないかと思い、彼女を誘ってくれたらしい。
うちが女の子2人なので、子供たちも同性の方がいいかと。

話は弾み、子供たちは時々おもちゃを争いつつも打ち解けにぎやかだ。
そして、なんと、坂下さんが第2子を授かったと報告!
待望の2人目で、とてもうれしそう。
祝いの声が飛び交った。
posted by マダム スン at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

台商協会主催、栄州市日帰り旅行に参加。のどかなりんご園にも寄る。貴重な韓国の旅。

ソウルには台商協会という台湾人会のようなものがあった。
台湾から韓国へビジネスで短期、長期滞在している人たちが立ち上げた機関で、リーは時折自宅でその名を挙げたり、それの誰それと会うとか食事をするということがあった。

その台商協会が9月24日土曜日、栄州市(ヨンジュ市と読むらしい)に日帰り旅行を企画、協会員の家族もふるって参加してほしいと声がかかり、0歳と1歳の子連れ遠出は大変億劫ではあったが、これも付き合い、言葉の問題もないからと応じることにした。
栄州市は電車だとソウルから4時間くらいかかるらしい。
私たちは大型バスをチャーターして行ったが、そんなに遠かった記憶は残っていない。
ただ、粉ミルク、2人の着替え、紙おむつやおやつ、メイのベビーカーも必要で、大荷物の管理だけでも骨が折れた。

参加者には小学生や中学生などもいて、なかなかにぎやかだった。
もう長く韓国で暮らしている子たちはハングル語にも苦労しないようだった。年長の男の子に、
「いつか台湾に帰りたい?」
と質問すると、
「台湾は徴兵制度があるから、帰りたくない」
と答えた。
たしか韓国にも徴兵制度はあるはずだが、外国籍の者は免れるようだった。

さて、栄州市への旅で最も思い出深いのはりんご園である。
日本の田舎を彷彿とさせるのどかな村に大きなりんご園があり、入場者は自分でもぎ、食べたり、持ち帰ることができる。
私は疲れ気味で、バスの中でメイの守りをしていたが、リーはランを連れ、りんごを頬張っていた。

バスはソウル目指しひた走った。
自宅に帰り着いたのは夜8時半、娘たちは疲れてすぐスヤスヤ、、
朝は7時20分出発、たしかに疲れたが、貴重な体験ができた楽しい1日だった。


posted by マダム スン at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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