リーは27日にソウルから台湾に帰国、2月1日家族4人で再びソウルへ帰る予定になっていた。
よって、ランとメイを伴っての義母宅居候は2週間を超える長丁場となった。
幼い娘たちとの雑魚寝は当初私を戦戦恐恐とさせたが、畳敷きで10畳以上ある広さだったので、何とか彼女らの「蹴り」や「体当たり」から逃れて安眠するスベを習得した。
旧正月前、慌しく、浮かれ気味の台湾。
私はここぞとばかりに二胡を習っていた音楽教室に連絡し、レッスンを入れてもらったり、メイの予防接種に奔走した。まずは水痘。翌週には麻疹だ。
ちょうどあの期間、義母の機嫌があまり良好でなく、私は外出しづらかった。台湾にいる間にいろいろ用を足したかっただけに難儀したものだが仕方なかった。リーの帰りを首を長くして待った。いや、それ以上に、早くソウルの我が家に帰りたかった。
しかし、ランかメイをひとり台湾の義母に預ける、というオソロシイ構想は、この時期の子守りに前向きでない彼女の姿勢から立ち消えになったのは、私にとってありがたい収穫であった。
多趣味で家事育児にも忙しい私は、腰痛の悪化が気になりつつも、やはり娘たちを自分で育てたかった。海を隔てて義母に任せるなどとんでもないことだったのだ。
1月のその頃は義母の誕生日と結婚記念日が連なっており、ケーキやワインなどでお祝い。
そして、無事新年も迎え、待望の2月1日が訪れた。ソウルに帰れる。
心が躍った。ソウルはすっかり私にとって落ち着ける場所、あの家こそ「我が家」になっていたのだ。