空港へは会社が手配するタクシーがリーを乗せて迎えに来てくれていた。タクシーと言っても大型で、ピカリと光った黒塗り。かなり高級感がある。ソウル支社長ゆえの高待遇かと感じる。
義母は約1ヶ月滞在することになっていた。
私はもともと韓国行きに消極的だった。
当時は韓流ブーム最高潮であったが、私は未だに「冬のソナタ」を観たことがないし、ハングル語もかじりかけたがどうもとっつきにくくあきらめ、歌手などタレントや文化にも興味を抱けなかった。
ハングル語がダメなら英語で押すしかない、と開き直っていた。リーの秘書が台湾留学歴のある女性で、中国語が堪能というので、なんとかなるだろうと甘えてもいた。
それから歴史を鑑みても、韓国人は日本人に強い反感を持っているはずだし、それ同等にコワいのは冬の厳しい寒さだった。
寒がりな私は台湾の温暖な冬にすっかり慣れ親しんでおり、北海道並みに厳しいと聞く冬をどう乗り切ろうかと考えてはため息をついていたのだ。
そんな「先入観」のせいか、ソウル入り2日目、「日本に帰りたい。物価は高いし、言葉はわからないし、家の中でも慣れず、失敗が多い。」と日記に書き出している。幼い娘たちのために、いざと言う時の小児科、救急病院なども調べなくてはならなかった。
前途多難。
そして、日本同様に蒸し暑いソウルの夏。
不安なスタートとなった。