2009年08月31日

当時、韓国ウォンは円換算がラクだった。8月15日韓国独立記念日。リー、台湾出張に緊張する。

当時、韓国の通貨は1円に対し10ウォンと計算しやすかった。
たとえば、例の麗しき店長のいるベーカリーで食パンを買う時、だいたい1800ウォンくらいのものをよく買い求めた。すると、日本円で180円という具合に0をひとつとればいいわけである。あの頃台湾では、台湾ドルを約3.5倍して日本円をはじきだしていたのに比べ非常に楽だった。
しかし、いずれにせよ、頭の中ではウォン、円、そして台湾ドル、すなわち元が掛けられたり割られたりして常に姿を変え、忙しかった。

週に一度のアメリカ系大型スーパーWalmartでの買出しは10万ウォン前後になることが多かった。私もリーも倹約家に属する者で、ゼイタクな品には手を伸ばさなかったが、だいたいそれくらいにはなった。
正直に言うと、リーのソウル時代の給料は「外地手当」なるものが上乗せされ、日本の定年退職間際のサラリーマン並みになったが、韓国の物価高の前に、そんな裕福感など打ち砕かれていたのは確かであった。円や元に換算し、ひどく割高なものには手を出さず、紙おむつのようにリーが毎月一度、台北本社に会議のため帰る時に買って来るようにしていた。
紙おむつはかさばる。リーのみでは追いつかない物はソウルに出張で来る気の知れた同僚にも頼む徹底ぶりであった。韓国の紙おむつは、総じて台湾のものの倍したのである。

8月15日、韓国独立記念日。
午前中、家族4人でCOEXへ行く。
そして、母娘がソウルへ移住して以来、初めてのリーの台湾出張。2日間だけであるが、ソウルで私と幼い2人の娘だけが留守を預かることになり、かなり緊張してその日を迎えた。
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2009年08月30日

水、お手拭がなくてもキムチ?! 米俵の如き白菜、専用冷蔵庫、、、、、 韓国はまさにキムチな国。

キムチの話を続けるが、お国柄というのはおもしろい。
週に一度は家族そろって外食に出かけたが、食堂、レストランに入り腰を下ろせば、日本なら水やお手拭が出るところ、韓国ではキムチが供される。結構な量なので、一足早く韓国入りしたリーに、
「これ、無料なの?」
と尋ねたものだ。
無料どころか、食べ終えてしまったらまた足してくれるという。
白菜キムチのみの店、大根など数種類出す店など様々、味も店の数だけある。
注文したものを待つ間、さっそくリーと赤く色を染めたそれに箸を伸ばすのが常で、互いに一口いただいたところで感想を述べ合う。
だいたい私たちの評価基準、すなわち好みのキムチは合致していた。
酸味がきついもの、激のつく辛いものは好きではなかった。好みは、辛いのだが全体にまろやかで、甘味さえ感じる絶妙キムチ。これに出会えば、その店は記憶に残り、繰り返し行きたくなった。

かなり多くの香辛料を使い作られるキムチ、もちろん辛く、刺激物と言える。胃の弱い私は当初、美味なるキムチに出会い、つい止まらずバリバリ食べてしまった後、胃もたれするのでは、と不安になったがキムチで体調が狂ったことは一度もなかった。脱帽。
聞けば、韓国のだいたいの家庭にはキムチ専用の冷蔵庫があるという。白菜が収穫される時期、そこかしこで米俵顔負けのビッグ白菜がゴロゴロ、何事かと思うほど豊富に売られているのは、キムチ用だとのちに知る。ソウルで知り合った日本人の中でも、
「うちの義母も毎年作りますよ」
という人が多かった。
本当に、本当に、韓国はキムチな国なのである。
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2009年08月29日

義母の帰国にしばし心揺れる。現代百貨店のデパ地下、量り売りキムチは絶品。おみやげにもどうぞ。

義母が予定を少し早めて台湾へ帰ることで、私は複雑な心境であった。
娘たちは幼いながら、私には私の教育方針や日常彼女らと交わす小さな取り決めをもとに暮らしが成り立っていたのだが、義母にそれらを説明しても理解してもらえず、ストレスがたまる。
私のやり方を端から重視していないとも見えるし、丁寧に説明したつもりでも伝わっていないこともしばしばある。もちろん中国語での会話なので、言葉の問題かとも思ったが、どうやらそうではなく、義母は自分の聞きたい内容の話しか聞こえて来ない耳の持ち主のようだった。
私もこういう性格なので、すべて腹に収めることもできず、言葉を選びつつ義母に改善を促すことはたびたびあった。角が立たぬよう気を遣うため、胃が痛んだ。

その一方で、慣れぬ土地に幼な子を2人連れて来た緊張感と忙しさは相当なもので、一人でも「身内」が多く身近にいることはありがたく、義母帰国以降どう乗り切るか不安も常にあった。日本の母には何度も
「ほんとに一人で大丈夫?どうやって行くの?」
と脅かされていたものだ。

義母は思い立ったらそうせずにはいられないタチで、彼女にとっても勝手のわからぬソウルでの暮らしは不便なものであるのは容易に見て取れた。台北での自由な生活が恋しくなるのも当然とも言え、私はあまり考え過ぎないよう努め、感謝の言葉をたくさん述べて義母を見送った。

ソウル生活も2週間ほど経つと、おおまかなことはわかり始めた。マンションから見て、COEXの向こうに隣接する現代百貨店にいわゆる「デパ地下」があり、食品売り場があると書いたが、物によっては例のWalmartと変わらぬ値段で買えると知って以来、ちょくちょく歩いて通うようになった。
リーは昼食を自宅で取り、少なくとも1時間は家にいるため、その時間に急いで現代百貨店を往復した。常に時間を気にして気ぜわしかったが、週末のWalmart行きのみに頼らず、またちょっとした気分転換にもなり、よかった。

現代百貨店のデパ地下で最も記憶に深く残るのはキムチである。
主に50〜60代のおばさんが店番をする量り売りキムチは絶品で、その美味を知ってからは他のキムチは買わなくなった。
最も一般的な白菜キムチは普通のと激辛の2種類あったが、私もリーもマイルドで辛くも甘さすら感じる普通の方を好んだ。バリバリいけるおいしさ! 
台湾に帰る際の土産としてもたびたびそこのキムチを買い求めた。
飛行機に乗るのだと言うと、匂いが洩れないようしっかと包装してくれるので安心できた。
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2009年08月28日

自宅周辺には韓国LGのスタンドにコンビニのOK。最寄りのパン屋に足繁く通った理由は素敵な店長のせい、、、 義母、予定を早め、台湾へ帰国。

自宅マンションから石段を下りてすぐに交差点があり、韓国LGのガソリンスタンドがあった。そのスタンド内にはOKというコンビニが併設され、時々ちょっとしたものを買いに寄ることもあった。
そこから対角線上のチェーンベーカリー、パリス バゲットにはよく通った。
台湾同様、大型スーパーでもパンを焼いているが、味は専門ベーカリーに比べると落ちたので、少々値は張ってもおいしいパンを求めた。
その後、COEX内やその近辺でもおいしいベーカリーを見つけ、最寄りのパリス バゲット一辺倒ではなくなったが、そのパン屋に思い入れが強かったのは、若い店員と一線を画した私服の店長が素敵だったからだろう。

男性ではない。
30代半ばくらいだろうか、選り抜きの韓国美人であった。
長い髪を上品にまとめ、自然なメイクに自信に満ちた立ち居振る舞い。そして、彼女はソウルで会った韓国人の中で最も流暢な英語を話した。おかげで彼女とは会話が成立するとの安心感もあり、足繁く通った。同性ながらうっとりする、魅力的な女性であった。

自宅周辺の紹介はだいたいこれくらいである。
リーは毎日10時出勤、その上、自宅の窓からオフィスが見えるのだから、その点は互いに助かった。台湾と異なり、言葉がまったく通じないソウルでは何かと不安と緊張が付きまとっていた。

さて。厳しい暑さが続いていた8月12日、1ヶ月という予定を急遽変更し、義母が台湾に帰ることになった。
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2009年08月27日

COEX、現代百貨店、地下鉄清潭駅、、、自宅周辺にどんどん詳しくなる。家族でロッテワールド探検する。

台湾時代同様、リーは毎週休2日だった。
近所の大型ショッピングモールCOEXには現代百貨店が隣接し、食品売り場があったが、デパートの商品が高いのはどこの国も同じ。
よって、毎週末車でWalmartへ通った。

散歩が日課の私は、そのうちリーよりも自宅周辺に詳しくなっていった。
自宅のすぐ裏に特別養護学校、さらに数分歩くと高校、高級住宅密集地と続きその向こうに地下鉄清潭駅。保健センターやアパート郡もその方向。

COEXを左に見て歩くと、飲食店やコンビニの多いビジネス街で、その一画に小さな雑貨店があり、そこにも食料品が置いてあることを知ってからはちょくちょく通った。これは便利だった。朝7時過ぎには経営者のオジサンが階上の住宅からとことこ下りて来てシャッターを開ける。そのうちオジサンとも顔見知りになった。

また、郵便局も自宅から5分ほどで再三通った。会話は英語に頼り、思いのほかそれに不得手な職員が多く困ったが、いつも最後には何とかなった。

さて、毎週末Walmartばかりでは味気ない。
8月7日日曜日にはロッテワールドへ行った。ロッテグループが運営する、世界最大規模の室内型テーマパークだ。
当時、何か事故があって間もない時で、遊園地は休館、ランたちは残念そうだったが、デパート内の食品売り場が意外に安く、本来はおそろしく高価な肉類を喜々として購入した。
首都ながらソウルの街は圧迫感がなく、緑も多く清潔で、車で駆けると気持ちがよかった。これさえも新たな発見であった。
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2009年08月26日

韓国女性にイメージ覆される。宝くじ当選さながらの豪邸。有名タレントの追っかけが庭に、、、

ソウル入りしたのが7月30日。
初めのうちは時間の過ぎるのが遅かった。
まず驚いたのは、ソウルの蒸し暑い夏である。台北や日本の実家の方より格段に涼しいと高をくくっていたが、しっかり暑かった。台湾ほどの高湿で高温ではないが、日本の夏によく似ていた。
それから、儒教精神が浸透した慎ましやかな国、とのイメージが強かったが、それを覆したのは韓国女性である。他の多くの国のように、真夏のその時期、タンクトップなど、肌をたっぷり出す身なりで闊歩する女性はそこかしこにいた。
それに、だ。
たとえば、道や地下街を歩いていて、ちょうど双方向からぶつかる格好になっても、ガンとして道を譲らない女性がほとんどだった。それは当初リーが指摘してもいた。
また、誰が見ていようといちゃいちゃするカップルもいる。とても普通な国なのだと気づく。

あと、特記することは新居である。
越して来た辺りは高級住宅地だったと書いたが、その完成したばかりのマンションも一生のうちに再度住むことがあるだろうか、と思うほどの広さで、快適だった。「宝くじに当たったようなもの」と知人友人に表現したものだ。
最新のカードキー。
大小含め、ベッドルームになるのが4部屋。
シャワールーム2つ。
クローゼットと洗濯機も悠々としたスペースを持ち、幼い娘たちが運動会を開けるほどのリビングとその一画にあるキッチン。
玄関に誰か来ると、カメラに映し出される。
午後、下の庭に高校生くらいの女の子がおおぜい座って談笑しているなと思っていることがあった。聞けばそのマンションに有名なタレントが住んでいることだった。
例によって、韓流とはまったく流れを別にする私にはさほどの興奮も好奇心も起きなかったが、とにかくすばらしい住居ではあった。
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2009年08月25日

ソウル在住、山口さんに電話、ソウル日本人会を教えてもらう。二胡の先生求む書き込み。ラン、魔の反抗期か?

リーと仲の良い財務部の同僚の一人に、しばらくソウル支社に勤務していた人がおり、その奥さんにソウル在住の日本人女性の連絡先を教えてもらっていた。ソウル滞在中、その奥さんはハングル語学校に通い、そこでその山口さんと知り合ったらしい。
山口さんは韓国人のご主人と日本で出会い、結婚後はソウルで暮らしていた。
ソウルで2日目の夜、さっそく私は彼女に電話をかけ、挨拶をした。

翌日、山口さんが教えてくれたソウル日本人会のHPで、日本語を話せる医師がいる病院などを調べ、リストにした。
また、利用者が質問などを書き込めるコーナーもあったので、のぞいてみる。
「コンソメを買えるところはありますか?」
「眼鏡を安く作れるお店を教えてください」
と、いろいろ訊ねることができ、答えを請えるようだった。
そこで、私も、
「二胡の先生はいませんか?」
と書き込んでみることにした。独学するつもりで来たが、一か八か探してみよう。

1歳10ヶ月になったランを時々散歩に連れ出してやった。
ところが、まだ帰りたくないとダダをこね、地べたに寝転んで泣きわめくことがたびたびあった。子供好きな通行人があやしてくれるので助かった。
家でも、気に入らないとだれかれかまわずたたいたり、蹴ったり。気性も荒いのだろうが、魔の反抗期に突入したようでもあった。
メイは7ヵ月半、ぐずったり、下痢をしたり、少々異変が起きる。
これはどうも歯が生え出したのと関連があるらしかった。
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2009年08月24日

ソウル江南区三成にある新居。coex,walmart,奉恩寺は馴染んだ場所。物価は日本以上。台湾から紙おむつ。

ソウル支社はソウルの江南区三成にあった。
そして、私たち家族の新居は、彼のオフィスが入る10階建てくらいのビルの裏手にあり、その年の春に完成したばかりのピカピカ、8階建ての2階にあった。
地下鉄の駅までは近いとは言えず、割安な大型スーパーへも車で10分以上かかったが、アジア最大と言われる地下街、COEXモールが徒歩で5分もかからぬ距離にあったし、そのちょっと向こうには奉恩寺という大きなお寺のある、恵まれた住環境にあった。聞けば、この辺りは会社社長や芸能人も多く住む高級住宅地ということだった。
韓国へ移り住んでも、私の日課である朝の散歩はリーの出勤前、欠かさず続けていた。
その時、瀟洒な邸宅や高級車を掃除するお抱え運転手をたしかによく目にした。
緑が多く、散歩が楽しくなる、落ち着いたおしゃれ感のある地域だった。

車でその付近をもう少し行くと、しゃれたブティックやレストラン、ベーカリーなども多く、タレント事務所もあるらしかった。
ちょうどその方向に、地図で見て探し当てたカトリック教会があり、20分ほどかかったが何度か歩いて見に行ったことがある。日本語や中国語のミサは行われないとのことで残念だったが、教会や寺院には心安まる力を感じ、訪れるのを好んだ。

毎週末、会社からリーに提供された車で家族4人最寄りのアメリカ系スーパーマーケット、Walmartへ買い出しに行った。
ソウル到着の2日目、さっそくそこへ行ったのだが、台湾はもちろんだが、日本より高い物価に度肝を抜かれた。食料品もそうだし、ランやメイがまだ大量消費する紙おむつも日本をしのぐ高価で、その後リーは台湾に出張で帰るたび、持てるだけの紙おむつを運んで来ることになる。
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2009年08月23日

韓流ブームたけなわながら「冬のソナタ」も知らない私。ソウル入り2日目で弱音吐く。

7月30日夜8時頃、ソウル市内の新居に到着。
空港へは会社が手配するタクシーがリーを乗せて迎えに来てくれていた。タクシーと言っても大型で、ピカリと光った黒塗り。かなり高級感がある。ソウル支社長ゆえの高待遇かと感じる。
義母は約1ヶ月滞在することになっていた。

私はもともと韓国行きに消極的だった。
当時は韓流ブーム最高潮であったが、私は未だに「冬のソナタ」を観たことがないし、ハングル語もかじりかけたがどうもとっつきにくくあきらめ、歌手などタレントや文化にも興味を抱けなかった。
ハングル語がダメなら英語で押すしかない、と開き直っていた。リーの秘書が台湾留学歴のある女性で、中国語が堪能というので、なんとかなるだろうと甘えてもいた。

それから歴史を鑑みても、韓国人は日本人に強い反感を持っているはずだし、それ同等にコワいのは冬の厳しい寒さだった。
寒がりな私は台湾の温暖な冬にすっかり慣れ親しんでおり、北海道並みに厳しいと聞く冬をどう乗り切ろうかと考えてはため息をついていたのだ。

そんな「先入観」のせいか、ソウル入り2日目、「日本に帰りたい。物価は高いし、言葉はわからないし、家の中でも慣れず、失敗が多い。」と日記に書き出している。幼い娘たちのために、いざと言う時の小児科、救急病院なども調べなくてはならなかった。
前途多難。
そして、日本同様に蒸し暑いソウルの夏。
不安なスタートとなった。
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2009年08月22日

多くの家財道具、すでに韓国へ。二胡レッスン再開。予防接種、医学エステも。

母娘3人が4月台北から日本の実家に帰った後、引越し業者が来て韓国へどっさりと家財道具を運んだゆえに、台北のマンションはすっかり様変わりしていた。ランが使っていた白いベビーベッドもすでに海を渡り、一日で国もベッドも変わって、彼女はくたくたのはずなのに11時頃まで眠れずにいた。
海外専門の引越し業者があるのをその時私は初めて知った。リーの会社が手配したその業者は、見積もりから荷造り、運送までテキパキとスマートにやってのけた。

7月25日、台北は最も暑さの厳しい季節に入っていた。
それでも、私は二胡のレッスンを受け、最寄りの保健所(衛生所)へメイのB型肝炎とポリオの予防接種にも行った。メイは生後6ヶ月、鏡に映った自分に反応するようになった。

30日の韓国行きまで日がいくらも無い。
27日は馴染みの皮膚科に予約を入れ、医学エステを受けに行く。
久しぶりの大坪林、いつものように李姐が笑顔で迎えてくれる。3ヶ月間の日本での出来事や、これから1〜2年は続くであろうソウルでのことを話した。
昼はその黄皮膚科に近い道恩素食坊で焼きギョーザを食べる。独身時代、週の半分ほどは通っていた、お気に入りの菜食レストランである。肉魚まったくナシとは思えぬボリュームあるおいしさで、メニューも豊富だ。
夕方は義母と2人、娘たちの髪を切りに出かけた。忙しく毎日が過ぎていく。

リーが不在のため、ランはほとんど義母宅で過ごしていた。あの頃から「痩せの大食い」だったランは、終日「餓!餓!「(お腹が空いた!)と連呼し、義母を困らせていた。
posted by マダム スン at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月21日

台湾の年号は辛亥革命に関係する。今年で民国98年。日本、台北、そしてまもなく韓国へ。

さあ、今日よりまた本来の「マダム スン」に戻る。
突然だが、台湾にも年号がある。
だが、もちろん日本のように各天皇在位期間とは関係はない。「中華民国〜年」と言い、多くは「民国〜年」と略す。
たとえばリーだと、民国55年(1966年)生まれになる。
そもそも台湾の年号は1911年10月10日夜、中国で起きた辛亥革命を起源とする。清朝を打倒し、古くから続いた帝政を廃止し、共和制に基づく中華民国を建国した年だ。翌1912年1月1日、かの孫文が中華民国臨時大総統に就任したわけである。

よって、今年は民国98年となる。長女ランは民国92年、次女メイは94年生まれである。
しばらく中断したが、物語は民国94年に戻る。(それまでのお話は7月10日以前のバックナンバーをご覧ください)
リーが社長からソウル支社長を命ぜられ、5月1日に彼が先にソウル入り。
まだ首が据わったばかりのメイと、ランを連れ、私は日本の実家に帰り、3ヶ月間を過ごしていた。
7月21日夜、リーが来日。
23日家族4人でいったん台北に戻る。リーは数日後、仕事があるため先にソウルへ飛び、我ら母娘3人と義母は7月30日、いよいよ未知の国、韓国へ向かうことになった。
posted by マダム スン at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ソウル前、3ヶ月間の日本滞在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月20日

4時起床。日本航空朝の便は満席。長い道のり、ようやく日本の我が家へ。

今朝は4時起きだった。
台北中正国際空港8:30発の便に乗るため、こうなった。
リーと結婚して約6年、今回義母が初めて日本の実家に来ることになり
5:30に家を出て、ガソリンを入れ、義母を迎えに行って桃園縣にある空港へ走った。
台湾を離れる際はいつもマイカーで行く。空港近くにリーが加入しているカード会社の営業所があり、不在中そこで車を預かってくれるのだ。そこから空港へは営業所のワゴンが私たちと荷物を一緒に運んでくれる。これはそのカード会社のサービスのひとつで、あらためて料金をとられることがなく、大変助かっている。

朝の空港は混み合う。夏休みということもあるだろう。
日本航空、朝の便は見たところ満席だった。今日の飛行時間は2時間20分、娘たちは慣れたもので、着席早々ヘッドフォンを出し、電源を入れて被ったり、冊子をめくったりと忙しい。
そして、楽しみなチャイルドミールをうれしそうに、驚くほどたくさん食べた。

関空に到着してからが長い。時計の針は1時間進む。時差1時間なり。
バスと電車を乗り継ぎ、最寄りの駅へ両親が2台の車で迎えに来ていてそこからまた約25分、5時頃やっと日本の我が家へ。
娘たちはこの田舎が大好き。まさに水を得た魚のように、疲れも見せず走り回っている。
台湾にいれば、それがあたえりまえのように思う。
しかし、日本に帰れば、こここそが「家」のようにも感じる。
いずれもそれに間違いはないのかもしれない。
私は本当に「2つの家」を持ったのだろう。
posted by マダム スン at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009台湾夏報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月19日

台湾八八水災、総統馬英九指導力問われる。中国人は情、理、法。帰国準備開始。

8月上旬、南部を中心に台湾に大きな被害をもたらした台風8号。
奇しくもこちらの父の日、8月8日にそれは起こり、「八八水災」と名づけられている。総統、馬英九の迅速なる指揮、行動力の欠如までもが今なお連日メディアをにぎわせている。
リーも残念そうに言う。欧米では「法、理、情」の順に社会的な物事は進められるのだろうが、中国人の世界では「情、理、法」なのだ。50代後半になる馬英九がまだそれを十分理解せず、特に野党民進党支持者が多い南部の人々の心を癒やし、つかむような指導力を発揮できなかった。それなら総統府に六法全書を置いておけばいいじゃないか、と。

私も残念である。まず、人情、道理、そして法律を重んじるのが中国人というのもわかる。
被害を受けた人々の心身の傷が一日も早く治まり、馬英九がこれを教訓に、情厚い実行力のある総統に生まれ変わることを願う。

さて、とうとう明日台湾を発つことになった。
思えば40日間なんてあっという間だった。
昨日は午前中蔡老師が来宅、4回目の二胡レッスンを受け、午後から荷造りを開始した。特に長女のランは日本へ帰るのを楽しみにしている。娘たちの中国語は期待に反して上達しなかった。
なぜか。
幼稚園に行かなかったからだ。1ヶ月半だけでもこちらの幼稚園に通わせれば速かっただろうが、多くの時間を姉妹2人で過ごすことになり、結局日本語の環境が出来上がってしまったわけである。
まあ、仕方ない。日本へ帰ったら、また私は中国語で話し、中国語のCDやDVDをメいっぱい利用しよう。

さっき二胡を練習した。
そして、台湾に置いておくその二胡をケースにしまう。悲しいなあ、、
長期的に弾かないので、週に一度はリーにケースを開け、外気にあててもらう。

この「2009台湾夏報告」をご覧いただき、心から感謝申し上げます。
台湾での写真は帰国後掲載できると思います。
また、当ブログは7月10日に中断した内容に戻ります。我が家4人がまもなく韓国ソウルに移り住む場面です。
今後とも変わらぬご愛顧をどうぞよろしくお願い致します。
posted by マダム スン at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009台湾夏報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月18日

保久乳消費量多し。台北は便利商店(コンビニ)王国。台湾のパン、ケーキもなかなか美味。

娘たちの今日の朝食は、保久乳、トーストとマンゴーだ。
保久乳とはいわゆる「常温保存可能牛乳」のことで、この種の牛乳の消費量は、日本より台湾の方がずっと多いように感じる。
リーは「鮮乳」の方がいいと言うので、ふだんはあまり保久乳を娘たちに与えることはないが、帰国が近づいたので、200mlずつパックになった保久乳は見当がつけやすいし、携帯にも便利なのでこちらにした。味は鮮乳よりマイルドな感じで、母子ともにとても好きだ。
台湾には、チョコ味、りんご味、木瓜味の牛乳もポピュラーだ。

それから今朝の食パンは昨日セブンイレブン(7-11)で購入したものだ。2枚入りの食パンが欲しかったし、それがあるのはコンビニだけなのだ。
台北に来られた方、お気づきだったでしょうか。
台北は実に「コンビニ王国」。7-11とファミリーマートを中心に石を投げればコンビニに当たると信じ得るほどある。(だが、ローソンは一軒もない)
たとえば、私が昨日行ったランの音楽教室のそばにある7-11、道路を挟んだ目の前にファミリーマートが営業している。
また、そのファミリーマートから、約100m離れた別の7-11が見える。こういうことはたいしてめずらしいことではない。撤退しないということは、そこでやって行けるということだろうから、老婆心も余計なお世話だろうが、感心すらする。

台湾には「パン屋」も多く、ケーキ、お菓子も一緒に製造するのがほとんどだ。各店独自の味があり、何度か食べているうちに好みの店がわかってくる。
洋菓子が苦手な私がケーキを買うことはめったにないが、見ているとショートケーキは50元台が多い。小ぶりな方だが、200円はしない計算になる。
誕生日などにいただくホールのケーキは日本並みに値が張る。日本では見かけない派手な色がついたケーキも多いが、それを嫌う人たちも増えたのだろう、シックなものしか置かない店も現れている。
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2009年08月17日

朝、郵便局や市場に歩く。お茶と3種の果物を持ち、五指山、国軍忠霊殿へ義父の墓参りに。

今朝7:45に家を出て、数品日本に買って帰りたいものを24時間営業のドラッグストアで買い求め、8時から開く郵便局へ行き、5元(約17円)の切手を2枚購入した。台湾の知人に写真を送りたく、手紙を書いた。台湾国内の封書は5元、ハガキは2.5元である。
それから朝市へ歩く。
自宅最寄りの例の朝市は基本的に、肉、魚すべてと多くの生ものや野菜を売る店は毎週月曜日が休みだが、面積から言えば半分ほどの店は営業する。
リーに「3種類果物を買って来て」と言われた。今日はそれだけ買えばよい。
何軒か果物を売る店が出ている。何度か来たことがある、豊富な品揃えの一軒に決める。マンゴー、木瓜、巨峰にする。175元なり。台風後、果物も値が上がった。

帰宅後、私は二胡を弾き、9時に家族4人マイカーで出発。台北縣汐止市を目指す。そこの五指山という山に義父が眠る。さっき買い帰った果物は助手席に。台湾では墓参りに果物やケーキ風パンなどを持って行くのが一般的である。パンはなしにしたが、リーはお茶をたて、ミニポットに入れた。

外国人が称する「台北」はおそらく「台北市」を指していると思われる。台北市はいわゆる政令指定都市で、その周りに10近い市を有する台北縣があるわけだ。私の自宅があるのはその台北縣の方ある。
何度か記したように、義父は軍人だった。軍人は公務員で、社会的地位は高いほうだったと言える。
それを証明するように、退職金や年金はひと昔前の日本の公務員のように良く保障され、義母が現在も住むアパートは国から与えられたもので、義父亡き後も配偶者の義母は生涯家族年金を受け取れる。60歳を過ぎた女性がひとり生活するには悪くない金額だ。

汐止市の五指山は緑まばゆい高い山で、その頂上に「国軍忠霊殿」が建つ。陸軍上校だった義父の位牌はそこに安置されている。
家族そろっての墓参りは久しぶりだ。台湾名物といえる50~60cmある長い線香をリーが代表して供える。持参したお茶と果物も並べ、4人手を合わせる。
義父は赤ちゃんだったランを数回抱いただけで、メイは台湾の祖父が逝ってから生まれた。
今日義父は、だいぶ「お姉ちゃん」になった2人の孫娘を見てとても喜んでくれたと思う。私も義父のそばに来られたようでうれしかった。今でも生きてくれていたらどんなによかったかと思う。大好きだった義父を想うとまた泣けてきた。

長く細い線香が半分以下になった頃、もう一度手を合わせ、果物を片付け、帰路についた。
片道約1時間。近くはないが、心安らぐよい時間だった。
帰り、娘たちは車中でうたた寝。ちょうど正午に帰宅。

午後3時には、台湾での夏休み最後のピアノレッスンにランを連れて行く。
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2009年08月16日

歩いて眼科へ。夜は外食でアヒル。台湾で一般的な食肉は、牛、豚、鶏のみならず。行列のできる豆花屋へも。

帰国まであとわずかとなり、「やっておきたいこと」を慎重に考えてひとつ一つ実行する今日この頃だ。
昨日は忙しかった。せっかちな性格ゆえ、思いついたら少々きついかなと感じつつもスケジュールを組もうとしてしまう。
午前中はまず眼科へ行った。私はもともとアレルギー性結膜炎があるがここ1~2ヶ月どうもそれらしき症状が悪化し、治らない。
自宅から徒歩圏内に2軒眼科がある。昨日受診したのは、小児科と併設されており、ランたちのかかりつけの医師がいてよく通ったところだしそちらの方が待ち時間が少ない頼眼科だ。
案の定、持病の悪化だった。ひとり前の患者を待っただけで、すぐ診てもらえた。診察料は2種類の目薬代を含めて150元(約500円)。調子がどうも良くない、やっぱり台湾にいるうちに診てもらおう、と思う理由はここにある。

その後、近くの農会という日本で言えばJAみたいな団体が経営しているこじんまりしたスーパーで買物をする。台風の被害で高騰した野菜の中で、その日特売品の空心菜はふだん並みの13元(約43円)と奇跡的に安く、迷わず購入。他の葉ものは30元以上する。
暑いので冷奴用に豆腐やカツオ節も。台湾は豆腐の種類が豊富だ。ちなみに「遺伝子組み換えでない大豆」を「非基因改造黄豆」と表示してある。

午後は、もう一度会っておきたかった知人宅へ娘たちとおじゃまし、帰宅すると5時になっていた。帰りはリーが車で迎えに来てくれた。
そして、私も疲れているし、週末よくあるように夜は外食に決まる。
飲食店が多い地域までとにかく行くことにする。4人で歩いていて、ゆうべはかなり早く意見が一致、「我」の右側に「鳥」と書いて(日本語で変換できない><)「アヒル」の意味になる。その店に決定した。
台湾では、牛、豚、鶏の他に、このアヒルや、鴨、羊も日本よりずっと一般的に食する。常連の牛、豚、鶏とちがって、後者3種はちょっと「専門店」的な存在だが、めずらしい!という感覚もない。
昨日はアヒルのレバーもいただいたが、鶏より柔らかくとても美味であった。

リーが冷たい豆花をデザートに食べて帰ろう、と提案し、行列のできる豆花屋でかなり待った。人気がある理由は、すべて手作りで、甘いシロップの汁ではなく、日本で言う豆乳をベースにしているからのようだ。ランとメイはすごい勢いで舌鼓を打った。やさしいおいしさのある豆花だった。
そして、長い土曜の外食ディナーはようやく幕を閉じた。は、疲れた。
しかし、ママはまだ休めない。
帰宅後には洗濯、娘たちのお風呂入れなど「お役目」が待っている。
でも、充実した一日に感謝。
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2009年08月15日

台湾でも起こる「崖の上のポニョ」現象。日本のアニメキャラクターも中国語をしゃべる。

今、リーと娘たちは自宅のテレビで「崖の上のポニョ」を観ている。

おとといのことだった。一家4人で隣りの大型ショッピングセンターに買物に行った際、家電製品売り場を回っていた。
すると、薄型テレビの鮮明な画面に去年末の紅白歌合戦の大橋のぞみちゃんがポニョの主題歌を歌っている場面が流れていた。
日本で大ヒットした歌や映画やアニメは必ず台湾にもやって来る。
7月台湾に帰ってまもなくリーの会社に行ったが、彼のある同僚の着メロはポニョのその主題歌だったし、ランが去年まで通っていた幼稚園のイベントに参加したら、オープニングはいきなりその耳慣れた音楽がかかり、子供たちが踊り出したものだ。台湾でも「ポニョブーム」が起こっていた。

去年夏、帰国し、ランが日本の幼稚園に入った時にも、「崖の上のポニョ」は園でたびたび話題になって、彼女も歌を覚えて帰って来たが、ちょうど日本で映画がヒットした頃はまだ台湾にいたため、ランもメイもまだちゃんと観たことがなかった。また、リーもいたる所でポニョに会うようで、興味を抱いていたおかげで、電化製品売り場からDVD売り場へ突進したというわけなのだ。
そして、果たしてそのDVDは見つかり、我が家にやって来た。538元だから、1700円くらいだろうか。
台湾で買うとよいのは、日本語(中国語字幕付き)と中国語バージョンが一枚におさまっている点だ。今、リーたちは日本語で観ているが、帰国したら娘たちには中国語で観せる。

ドラえもん、ちびまるこちゃん、クレヨンしんちゃん、アンパンマンなどももちろん台湾で人気がある。そう、それらのキャラクターはここでは中国語をしゃべっているのだ。^^

他に、台湾で人気のある番組といえば「どっちの料理ショー」などのグルメ番組や、温泉地、観光地を旅する紀行番組だろうか。NHKの多くの番組以外は、1年以上遅れて放送されることがほとんどだけど。
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2009年08月14日

パスポート無事交付。帰りは「南京東路」駅から地下鉄で。市場で買った水煎包で昼食。台湾はベジタリアン多し。

台北はバスの路線が充実している。だが、時刻表はない。
本数が多い路線とそうでないのがあり、本数が多く、ほとんど待たずに乗れることを中国語で「好等」と言う。この場合「等」は「待つ」という動詞だ。
今朝は娘たちと超「好等」の307のバスに乗った。7月末申請していた彼女らの2冊目になる日本のパスポートを交流協会台北事務所に取りに行くためだ。
9時前に家を出た。まだラッシュの時間に当たり、より遠く感じる。台北は恒常的な渋滞と駐車場不足に悩まされる街なので、今更どうこう言うことでもないのだけど、、、、、

「南京復興路口」の停留所で下車、やっと到着。兄弟大飯店のすぐ前だ。そこから5分ほど歩くと交流協会がある。
昨日一応電話で確認したが、少し緊張する。パスポート受領時に必要なことは、所持人本人が行くことと、おつりの要らないよう申請料を用意することだ。
幸い、何事もなく、無事新しいパスポートを手にする。よかった。

交流協会のある一帯はビジネス街で、飲食店や銀行、デパートなども豊富にあるが、4歳と5歳の子供を連れては結局どうにもパッとした楽しみ方は思いつかない。
まあ、とにかく、往路とは異なる地下鉄を使っての移動に決める。すぐそばに「南京東路」駅がある。
いろいろ考えたが、娘たちも疲れ気味だし、「頂渓」駅まで行くことにする。そこからは自宅まで近く、バス一本で帰れる。ちょっと足りなそうな食材も、そこに立つ朝市で補充することもできる。
しかし、地下鉄は現在どんどん拡張工事を進めており、便利になったが複雑に入り組んでいて、直線距離にすれば短くても、遠回りするようなじれったさを感じる場合もある。
今日はまさにそのパターンで、2度も乗り換え、ようやく目的駅に着いた。ラッシュ時さながらに混み合うし、乗り換え時にさんざん歩かねばならなかった。

頂渓駅まで来れば、もう自分の庭の気安さがある。
市場で筍、豆腐、豚の挽き肉、そして、今日の昼食にしようと水煎包を5個買う。水煎包は、油でまず焼き、水を加え蒸したいわゆる肉まんのようなもの。一個10元(約30円)。たまに食べたくなる。
今日買い求めた水煎包は「素食」のもの。「素」とは殺生せずに食べられる食材を用いた意味で、早く言えば菜食、ベジタリアンフードだ。台湾には仏教徒を中心に多くのベジタリアンがいるので、「素食」の看板を至る所で目にする。
ベジタリアンにもいろいろと段階があり、厳格な人だと卵も牛乳もにんにくも口にしない。肉と同じ鍋で煮たものも食べない。

正午前帰宅。
久しぶりの水煎包。娘は何もつけずにおいしいと食べたが、私は何か物足りなさを感じ、キムチを添えた。しょう油やカラシでもいいだろう。
posted by マダム スン at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009台湾夏報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月13日

台湾の紫外線は強烈?! 蔡老師引越。首都、台北の住宅事情。

台北はまた最高気温35度と予報が出る酷暑が戻って来た。
私は、女の敵、シミが非常にできやすい厄介な体質だ。
ところが、この1年日本に帰って感じたのだが、シミが薄くなったというか、少なくとも増えなかった。これはやはり、台湾の紫外線の方が強烈か、またはそれが注ぐ期間が長いのではないかと推測している。
よって、今回台湾に帰ってからは、外出の際紫外線防止機能が施された日傘のみならず、紫外線カットする帽子も被った重装備を励行している。面倒くさいがしようがない。この「お国柄」か、レーザーでのシミ治療は大変一般的だが、そうなる前に食い止めたい。

さて、今日、二胡の蔡老師は引越をしているはずだ。
彼女はプロテスタントの信者で、学生時代からその教会が運営する寮で暮らしていたが、社会人としてただ一人の寮生の彼女に、先日「すべて学生のための宿舎にしたいので、他に部屋を探してくれないか」と言われたのだ。
蔡老師は泣く泣く部屋探しに奔走した。
そして、先週ようやく新居が決まったのだった。

台北駅にほど近い、地下鉄中山駅付近で、ワンフロアにいわゆるワンルームが4部屋、お手洗いは共用で1ヶ月6000元。
学生街などでは3000元台からあるが、中山駅付近だと市中心部と言え、便利だし、洗面所は共用でも6000元なら安い方ではないかと思う。
私の留学生時代の部屋は、台北市内ではなく台北縣内で洗濯機共用だったが、それでも6000元した。台北市内の方が家賃は高いものである。
上を見れば、ワンルームで15000元なんていうゼイタクなマンションだってあるがそれにしても、いわゆる首都でワンルームが約20000円くらいで借りられるのはありがたい。東京でなくても、日本の多くの地域では考えられないだろう。

ちなみに、外国人でも簡単に部屋は借りられるが、購入する場合は台湾人の保証人が必要である。
posted by マダム スン at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009台湾夏報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月12日

アンパンマン油絵、作者から贈呈。台風後の市場へ。台湾で「1斤」はいくら?

ウクレレ青年は、ランとメイ、それぞれにアンパンマンの油絵を贈呈し音楽教室の面々に惜しまれながら、今日朝「当兵」のため、列車で台中へ行った。
2枚の絵を娘たちが胸の前で持ち、彼と記念撮影もした。絵にはサインも入っている。
入隊前の超多忙時に、朝4時までかかって描いてくれた油絵。日本の家に飾り、大切にするぞ。

さて、今日は久しぶりに市場へ買出しに行った。肉、魚類がなくなったのだ。
野菜の産地を台風が通過すると、影響や被害の度合いが正直に価格に反映する。大型スーパーでも品薄、価格高騰が顕著だったので覚悟して行った。
覚悟はしていたが、やっぱりこう高いと決断が鈍る。
たとえば、ふだん一束10〜15元の葉モノ野菜が20〜30元、地瓜という、日本で言うさつま芋も倍の値段になっている。キュウリもほぼ倍、大き目の1本を買うと20元もした。
それでも必需品の食料、買わないわけにはいかない。

その後、豚肉屋へ行った。リーは、豚や鶏も被害を受けたと話していたが、肉の方はいつもと変わりなし。ホッ。
そして、今回の台湾滞在で一度は食べたいと思っていた心臓を手に入れる。前回来た時はもう売れていたのだ。140元。
大人2人、幼児2人の我が家だと、半分に割り、片方は冷凍保存し、2回味わえる量である。
簡単かつおいしい食べ方は、フライパンに油を敷き、ショウガの千切りをまず炒め、そこへ適当な厚さ、大きさに切った心臓を入れ、しょう油のみで味をつけながら十分火を通す。
これだけである。
コチコチした歯ごたえで、香ばしく、娘たちも喜んでまず心臓ばかり食べていた。

めったに自分で買い、調理することはないが、豚の腰肉もまたちがう食感で美味。リーは豚の耳も好きだ。

昨日は日本では獲れない、台湾ではなじみの魚も一尾100元でゲット。
麺屋でラーメンのようなタイプの麺も。
あ、ちなみに台湾ではよく「斤」という字を見かける。
「1斤」が600gである。台湾にいらっしゃる方、覚えておいてくださいね。
よって、私は「今日は挽き肉を半斤欲しい」などと言って市場で買物を進めるのである。
posted by マダム スン at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009台湾夏報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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