たとえば、例の麗しき店長のいるベーカリーで食パンを買う時、だいたい1800ウォンくらいのものをよく買い求めた。すると、日本円で180円という具合に0をひとつとればいいわけである。あの頃台湾では、台湾ドルを約3.5倍して日本円をはじきだしていたのに比べ非常に楽だった。
しかし、いずれにせよ、頭の中ではウォン、円、そして台湾ドル、すなわち元が掛けられたり割られたりして常に姿を変え、忙しかった。
週に一度のアメリカ系大型スーパーWalmartでの買出しは10万ウォン前後になることが多かった。私もリーも倹約家に属する者で、ゼイタクな品には手を伸ばさなかったが、だいたいそれくらいにはなった。
正直に言うと、リーのソウル時代の給料は「外地手当」なるものが上乗せされ、日本の定年退職間際のサラリーマン並みになったが、韓国の物価高の前に、そんな裕福感など打ち砕かれていたのは確かであった。円や元に換算し、ひどく割高なものには手を出さず、紙おむつのようにリーが毎月一度、台北本社に会議のため帰る時に買って来るようにしていた。
紙おむつはかさばる。リーのみでは追いつかない物はソウルに出張で来る気の知れた同僚にも頼む徹底ぶりであった。韓国の紙おむつは、総じて台湾のものの倍したのである。
8月15日、韓国独立記念日。
午前中、家族4人でCOEXへ行く。
そして、母娘がソウルへ移住して以来、初めてのリーの台湾出張。2日間だけであるが、ソウルで私と幼い2人の娘だけが留守を預かることになり、かなり緊張してその日を迎えた。