2009年07月11日

予告! 明日からは台北の自宅から「2009・台湾夏報告」開始。

毎日このブログを読んで下さっている方、ありがとう。
初めて今日来てくれた方、いらっしゃいませ。

マダム スンこと「私」は娘たちと日本へ長期帰国中だが、今日から1ヶ月半ほどラン、メイを連れて台北の自宅に戻ることになった。
ランは満5歳、年子の妹メイは4歳で同じ幼稚園に通っているが、彼女らの夏休みを待たずに日本を発つのは、私の居留ビザ更新期限が迫っているためだ。残念だが今日台湾に帰り、そのまま向こうで夏休みを過ごすことになった。

約1年前、日本に帰った時はほとんど日本語を話せなかった娘たち、今はまったく逆の事態で、聴いてわかっても中国語をほとんど話すことができなくなっている。
さあ、どれくらいで彼女らの中国語スピーキング力が回復するか、興味津々である。
数日前より、特にランは今日を楽しみにするようになった。
どうやら、電車や飛行機に乗れることがうれしいようだ。
台北までの飛行時間は2時間余り。これくらいなら子供でもあまり退屈しないし、幼児用の機内食は可愛く盛り付けられ、おいしいらしく、飛行機は「空飛ぶレストラン」でもあるのだ。

家にある2把の二胡は、一把も持って帰らないことにした。
これまで毎回移動するごとに携えていたが、子連れで荷物が多く、とても苦労したし、やはり持ち歩くと傷む確率が上がるのでやめた。
しかし、1ヶ月半も二胡を弾かずにいられるはずない。
そう、台北でもう一把買うことにしたのだ。3把目の二胡。
そして、それはずっと台湾に置いておくことにする。私と台湾の関係は生涯続く。いずれ、娘たちが弾くことも十分あり得る。安い買物ではないが決して無駄ではない。

さあ、明日からは台北より「2009・台湾夏報告」に内容を変更し、お目にかかりまする。もちろん、楽器店で二胡品定め模様も記すので、またおつき合いください。
posted by マダム スン at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ソウル前、3ヶ月間の日本滞在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

腰痛と顎関節症のはじまりはすべてあの頃。

尋常な痛みではなく、父たちに訊いて最寄りの外科医院へ助けを求めた。
そこは昔からたびたび耳にする医院の一つだが、腰痛になるのは初めてで私にとっては初診だった。専門は外科でも内科や小児科でも診ますよ、といういわゆる貴重な「町医者」のひとりがいる。
問診や実際に腰を押さえてもらった結果、一種のぎっくり腰と診断される。
「でも先生、ギクッと来た記憶が無いんですけど、、、、、」
本当にないのだ。いつやったのだろう。
「無理な体勢で重いものを持ったりしませんでしたか?」
・・・・・・
あ。高い柵付きのベビーベッドにいるランを抱き上げたあれかな?
「そう言えば、それらしきことはありました。」
「強烈にギクッと来なくても、ぎっくり腰になります。」
だそうだ。
「湿布と飲み薬を出しますので、これで様子を見てください。一番いいのは安静に寝てることですけど、まあ、ご婦人にはむずかしいでしょうなぁ、、、」
腰が低く、誠実さが容貌や言動からにじみ出る先生の「ご婦人」の一句に、いつの間にか年を重ねた感慨が押し寄せ、なぜかノスタルジックな響きを感じる。

あれだけひどい腰痛が、2種類の薬が効き、一週間ほどで治った。
MRIで精密に検査をする必要はなくなりホッとする。

しかし、あれ以来、腰痛は1〜2年に一度再発をくり返すようになる。年子を産み、産後休養が必要な時期に無理をしたせいもあるのだろうと反省する。
これまで不思議と腰痛で台湾の病院を訪れたことはなく、疲れがたまり腰に来るたび名町医者・吉見先生を訪ねる。
それと、時を同じくしたラン1歳7ヶ月頃、物を食べたり、しゃべりはじめに口を開ける時、右こめかみに痛みが走るようになった。噛むとカクッカクッと音がすることも増えた。
父に話すと、
「トシや。」
と一蹴。
あれが顎関節症の初期症状だと知ったのは、ずっと後のことだった。
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2009年07月09日

結婚指輪完成。ランの困った遊びと腰痛。

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ロスからの2回目の電話は、私の誕生日の朝かかって来た。
それから、リーが来日中に遅ればせながら結婚指輪を作りに行ったのだが、ちょうどその日に出来上がったので、お店に取りに行き、さっそくはめた。リーのは郵送せず、夏、ソウルへ持って行くことになった。シンプルなプラチナだ。
「指輪ってしたことないし、指に物つけるの気色悪いよ。」
とリーは最初訝ったが、なんとか説き伏せペアリング。
以来、今でも外出する時だけはめている。
指輪は指をきれいに見せてくれるが、男性の指輪も粋でいいものだ。

さて、この頃、ランは困った「遊び」(?)をするようになる。
あまり言いたくはないが、自分のうんちを触ったり、並べたりしてベッドや座布団の上に放置するのだ!
最初、何かわからなかった。
注意してもその5月下旬頃、数回くり返した。

1歳7ヶ月のランが話せる日本語は、じい、ばあ、よいしょ、お外、痛い、固い、パン、ワンワン、ぶーぶー、パパ、ママ、キティ、バイバイなど。
しかし、いちばんしきりに使うのは短い中国語だった。
それは「餓ー、餓ー!」(咽喉の奥から出す「アー」の音)。
「お腹が空いた!」という意味だ。
ランはたしかによく食べた。
ランのうんち遊びが止んだ5月末、私は夜中激痛で目が覚めたり、寝返りも打てないほどの腰痛に襲われダウン。
なぜ? 
原因が思い当たらなかった。
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2009年07月08日

3ヶ国で受ける予防接種への不安。リー、ゲームショーのためロスへ飛ぶ。

子育てセンターでは毎週金曜日に乳幼児向けの集いがあり、できるだけ参加させてもらうようになった。
自由に遊ぶ時間があると、ランはよそのママや子供たちのところへじりじり近づいて行き、いつの間にか輪に入って楽しんでいる。母親のそばを離れなかったり、泣いたりする子もいる中、ランは私の存在を忘れたように部屋中闊歩し、あちこちで遊ぶ。そして、たま〜に思い出すのか、「ママ〜!」と呼び、私の居どころを確かめるとまた夢中になっている。私のところへは来ない、どこにいるかわかればいいようで、楽といえば楽だが、拍子抜けするのはしょっちゅうだった。

一方、生後4ヶ月、メイは初めて声を出して笑うようになった。
一時は、この子、笑わないんじゃないかしら、というくらいランとは正反対、無表情に近い子だったゆえに、とてもうれしかった。
5月半ば、天気もメイの体調も良好な日、小児科医院へ3種混合ワクチン2回目の予防接種に行くことにした。
台湾、日本、そして次は韓国。
娘たちは三つの国で各種予防接種を受けることになる。台北の医師にも訊いたが、日本の医師の意見も聞きたくなった。特に期間を置いて数回接種すべきワクチン、国が違えば成分も異なるのでは?大丈夫でしょうか。
「まあ、台湾、日本、韓国なら多少違っても基本的に問題はないでしょう。」
よかった。
「そう言えば、うちに来る患者さんで、子供の予防接種のために帰国する人がいますよ。」
え? どこに住んでいる方ですか?
「インドです。」
はあ、、、、、。 インドにはまだ行ったことがないので何とも反応し難かったが、さぞかし大変だろうと思った。

まさに風薫る5月。日本で爽やかな過ごしやすい季節を謳歌できる悦びに浸る。
私の誕生日も近づいたそんな折、リーから国際電話が入った。
ソウルに赴任して間もないリー。毎年米国で開催されるゲームショー視察のため、彼はロサンジェルスにいた。
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2009年07月07日

はる先生、かず先生とシドニー在住・絵本ママ親子との出会い。

日本を離れて久しい私は、すっかり地元の細かな様子や動向に疎くなっていた。その公共の施設に初めて行き、あぁ、ここが母の口から何度も聞いていたところかぁ、建物自体新しく清潔、2階にある子育てセンターも本や玩具類が充実し、子供のみならず大人さえ好感を抱く温かな一室である。
常駐の指導員は2名。いずれも女性で、初対面とは思えないほど親しく来室を歓迎してもらえた。

平日の午前中だからか、入室者は少なかったが、熱心に絵本を吟味するママがいる。
やんちゃに駆け回る男の子は金髪で、どう見ても純日本人ではない。
聞くと、地元出身の絵本ママはシドニー在住、オーストラリア人に嫁いで、腕白なその子、ルイスを授かったと言う。私同様、日本に一時帰国中だった。
指導員のはる先生とかず先生を挟んで、話に花が咲く。ルイスもうちのランもいわゆるハーフなわけだが、パパ側の言語と日本語をどう教えているのか、年老いて行く日本の両親に気がかりなことは何かなど話題は尽きなかった。
絵本ママは、シドニーと関空間の航空券がもう少し安かったらいいのに、ともこぼした。それはよくわかる。私は台北までと距離が短いからまだいいが、シドニーではかなり高いことが想像できた。

初の子育てセンター。施設そのものが気に入っただけでなく、貴重な人々との出会いにも恵まれた。
その後、私と娘たちはだいたい春から夏に向かう季節に1〜2ヶ月一時帰国したが、毎年そこを訪れるのを楽しみにするようになった。
そして、絵本ママ親子とはる先生、かず先生とは今なお交遊が続いている。
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2009年07月06日

帰国して3週間。乳幼児健診と子育てセンターデビュー。

日本に帰国して3週間。
ロタウィルス騒動を乗り切り、二胡も直り、ようやく生活が落ち着いてきた。
私一人で0歳と1歳の子両方と寝るのはきついので、母がメイと奥の間で、私が自室でランと寝る習慣もついた。寝かしつけたり、布団を蹴ったらかけてやったり、声や寝言を聞かされたりと、夜も何かと大変だ。

日本の戸籍も持つ2人の娘たちには、市からいろいろな通知が来る。
ちょうどその5月に4ヶ月児と1歳6ヶ月児健診が保健センターで行われるとのこと、10日火曜日にはメイを、翌11日にはランを連れて行く。
楽な子育てなどないだろうが、幼い年子のママも忙しい。毎日私も母もくたくただった。子守りだけではない。地域の活動や家事、自分を高めたい欲求や向上心も、妻や母親になっても頑固に主張する。休んでなどいられなかった。
「この子達を無事大きくするのも私の使命」と言い聞かせ、慌しい日々を送った。

70歳にして初孫を抱いた父は、2人目の孫である小さなメイを文字通り宝を見るような目で眺め、あやす。何ひとつ親孝行などできないでいる私は、娘たちに感謝の念が湧く。生まれてくれてありがとう。

さて、子育てに強い味方が現れた。
母の用事でランを連れ同行した社会福祉協議会の施設内にある町の子育てセンターだ。台湾にはこういう公共施設やサービスはない。
アンパンマンなどのキャラクターで飾り付けられたひと間に、ランは喜んで駆け入った。
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2009年07月05日

二胡も直せる楽器職人氏に感謝。弦、無事に張り替えられる。

その楽器店兼音楽教室は、考えてみれば昔からある老舗だった。
名前に覚えがある。
従兄と、電話予約した際聞いた行き方を頼りに、無事たどり着けた。
大事に持参した二胡をまさにお医者様に診せる思いで楽器店に持ち入る。店員らしい女性ひとりと、数ヶ所ある支店を巡回するという楽器職人(?)がいた。その男性が、二胡を修理できる人である。
事情は電話でだいたい話しておいた。台湾から予備にと持ち帰った弦を渡し、それに張り替えてもらう。
「最近は日本でも二胡を弾く人が増えたみたいですね。」
彼の作業を見ながら話しかける。
「そうですねえ。今は落ち着いたけど、去年あたり、毎日一本は売れるくらいブームの時期もありました。」
え、そんなに? 都会でもないこの辺りで、それはすごい。
「だいたいいくらくらいのがよく出ました?」
「うーん、一万円ちょっとくらいかな。」
台湾ドルに換算すると約3000〜5000元、いちばん安いところだ。ちょっとやってみたい、というくらいなら、そのあたりから始めるのも仕方ないだろう。
私が台湾のそのスジの人に言われたのは、長く弾くなら最低一万元のものがいいとのことだった。30000〜35000円に相当する。
「ここでは二胡を教えてませんが、市内に習える教室はあるそうですよ。」
楽器職人氏は作業の手を止めずに言った。

店内を見せてもらうと、二胡グッズもあった。たしか弦は500円ほどだった。私が買って帰った台湾の物は約250円、やはり日本の方が高い。

弦は見事に新調された。感謝感激。修理費もわずか400円。
その上、楽器職人氏は、蛇皮に負担がかかるので鉛筆などをそれと弦の間に挟んで保管した方がいいと、店にあった短い鉛筆を無料提供し実演してくれた。





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2009年07月04日

病を抜け、二胡を修理できる人をさがして、、、

まだ二胡を習い始めて一年にも満たない。
調音でさえ上手ではなく、弦を張り替えたりなど怖くてできない。
飛行機等の移動で弦が緩み、そのせいで音が狂い、しっかり調音しなおさねばならず、ぎーこぎーこやっていたら細い方の外弦がプツリ><

だが、救いの手が伸ばされる。
その日、車で20分ほどの町に住む従兄が2人の娘を連れてメイの誕生祝いなどを持ち、遊びに来てくれた。4人姉妹のうちの長女と四女で、話題は中1の四女が習っているバイオリンに飛んだ。バイオリンなんて、この近辺で教えているところがあるのだろうか。
訊くと、隣りの市まで往復一時間半かけて週に一度レッスンに行っているという。もともとは楽器屋で音楽教室が併設されているらしい。
「二胡も教えてますか?」
日本でも当時二胡は女子十二楽坊の影響でメジャーになっていたため、ひょっとしたら、と思ったのだ。

二胡の教授はなかったが、修理はできる人がいると従兄はその後電話をくれた。
さっそく自らそこへ電話をして、事情を話し、二胡を扱えるスタッフが隣りの市にある本店にいる時間に出向く予約を取り付けた。
ロタウィルスの猛威から回復したのが発症から6日目の5月4日。
その約一週間後の10日、私は車でその楽器店を目指した。
自宅から近くはないが、中国古典楽器を修理できる人がまだこれくらいの距離にいることに、大きな安堵を覚えた。
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2009年07月03日

帰国後初めての二胡。ハングル語独学も始める。

リーはとうとう韓国へ赴いた。
以前にも書いたが、一旦本社を離れる以上、数年後ソウル支社長の任務を終える時には台湾へ帰っても座る席はないとの覚悟で行った。
彼より年若い社長とは基本的に馬が合わず、たびたび不服をもらしていたし、いずれは起業したい夢も捨て切れず構想としてはあったためそれほど悲観的ではなかったにせよ、「次」を常に視野に入れての出発だった。
彼のソウル転勤にあわせたかのように完成したオフィス裏手のマンションは、まさにさっきまで職人や大工がいたような状況で、マメな彼は一から掃除し直したと言う。

私と母のロタウィルス騒ぎはまだ終息していなかった。
ランは完治したものの、引き続いて風邪をひき、環境の変化や病み上がりゆえか、4月24日帰国以来、ずっと人が変わったようにぐずった。
メイはメイで下痢をした。だが、発熱や嘔吐はなく、元気で食欲もあり、様子を見ていた。ちょうどゴールデンウィークで、病院へ行くのもタイミングがむずかしくもあった。

一進一退のロタウィルス症状だったが、発症してから5日目の5月3日に日本に帰って来てから初めて二胡を弾けた。ようやく二胡を持ち、弾ける気力、体力ができたのだ。
また、その日からハングル語の独学を開始。NHKハングル語講座や友人にもらったテキストを用いてやってみることにする。
やっと、日本での生活が軌道に乗り始めたわけだが、二胡の調子がおかしいことに気づく。
丁寧に持って帰って来たつもりだったが、弦が緩んでいるのだ。
それを自分で治しているうちに、細い方の外弦が切れてしまった。
これは困った、、、、、
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2009年07月02日

リー感染するも軽症、そしてソウルへ単身赴任。

親しいと言えど、ご近所さんに頼むのはおかしい気がするし、では、近くの親戚なら誰に、、、、、と頭の中は忙しく回った。
母がこんな症状なら、家事ができないのは容易に察しがつく。
それに、ランは最初に感染した張本人だが、父や生後3ヶ月ちょっとのメイにうつって行ったら、、、、、
どうしても最悪のパターンを考えてしまい、呆然とする。

ところが、母は下痢はしたが、軽症だった。
私を10とすれば、彼女は3〜4レベルで済んだ。
よって、家内を回す女2人が床に臥す予想画はめでたく消え去った。
あの当時すでに、パソコンの無料電話・SKYPEを利用し始めていた。マイクやカメラは購入しないといけないが、無料で申請・使用できるサービスだ。リーが台北の自宅と私の実家の両パソコンにその機能が働くようにしてくれていたので、台湾に帰った彼と話した。
我が家の状況を話すと、彼もロタウィルスに感染していることがわかった。
リーが台湾へ帰ったのが4月28日。
その翌日、腹痛が起こり、トイレに何度か走ったらしい。私が救急車で運ばれた日だ。
聞くと、リーも母同様症状は軽く、会社にも出ていた。

そして、5月に入った。
私は依然病床にあった5月1日、リーはいよいよ韓国へ。
初め3ヶ月間は単身赴任、ソウル支社のトップとして新しい任務に就いた。
posted by マダム スン at 05:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ソウル前、3ヶ月間の日本滞在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

母もロタウィルス感染、非常事態宣言。

歩けない大ケガでもないし、意識もしっかりしているので、救急隊員の方に申し訳ない思いがある。何度も頭を下げ、恐縮、お願いしますと言い、横になった。
下痢と嘔吐にも波があり、どうか小康状態の今のうちに病院に、と祈る。
「トイレに行きたくなったら言ってくださいね。」
とやさしく声をかけられるが、その措置が不要でありますように。

思い通じて、無事県立病院に着いた。
宿直医は女性で、数人の看護師さんが診察をサポートする。
時間を見計らって父が車で迎えに来てくれた。
処方箋を病院傍の薬局に持って行き、できあがるのを待つ間にまたトイレに駆け込んだ。自宅までの道中が心配になる。

何とか帰り着き、ランの離乳食やメイの授乳法を母に伝授し、私は父の書斎にこもる。まともに食べられないのに、炊事など可能な状況ではない。書斎に移動したのは、トイレに最も近いからだ。
もちろん、食欲はない。だが、なぜか、森永のマリービスケットが食べたくなり、あれだけは身体が受けつけた。不思議である。
薬をもらったとは言え、例によってロタウィルスは対処療法しかない。飲んだからといって、すぐ回復するものではない。
その上、夕方には母の下痢が始まった。彼女はまだ軽症で、自ら運転し、かかりつけの内科医を訪ねた。
どうしよう、、、、私はこのひどい症状と闘い、耐えるのが精一杯で娘たちの世話など無理だ。
父は昭和ひとケタ生まれ、家事などほとんどできない。女2人が寝込んでしまったら家内が回らなくなる、、、、、 
私は痩せゆく身体を横たえて、途方に暮れた。
posted by マダム スン at 05:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ソウル前、3ヶ月間の日本滞在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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