2009年06月09日

新年早々インフルエンザ?「ポーランドの光」、ローマ法王退院。

いわゆる元旦より大晦日に盛り上がる台湾では、新年を待たずにお年玉を渡してしまうし、年が明ける前にさんざん「おめでとう!」と声を掛け合う。制限されるようになり、以前よりは減ったが、爆竹でにぎやかなのも大晦日の夜だ。
いちばんうるさかったのはやはり午前0時前後だった。あ、私が「うるさい」というと、リーに「うるさいんじゃなくてにぎやかなの」と訂正された、、、>< しかし、夜に弱い私には、爆竹は安眠妨害の元凶そのものだった。
その頃、リーが実家からランと帰って来た様子だった。本来なら年をまたいで実家に泊まるナラワシがあったが、義母の家は2階で、爆竹の音に怯えてランが眠れないだろうと判断したのだ。我が家は11階なので、義母宅よりは少しマシだろうと言うのだ。

「初二」と言われる1月2日に当たる日、リーが体調が悪いと訴える。めずらしく熱がある。
その夕方にはランが少し吐いてしまう。そのうち一時間おきに下痢をするようになった。
困った。インフルエンザだったらどうしよう、と案じる。メイにうつるのも怖い。
心休まらないまま夜を越す。
翌日、まだ三が日というのに、かかりつけの小児科にしていた嘉櫻医院がその日から診察を始めていることがわかり、午後リーとランが受診した。

入院していたヨハネ・パウロ2世が退院したとニュースが伝えた。よい知らせである。
私は依然洗礼をうけてはいなかったが、2度ヴァチカンを訪れたいずれもがヨハネ・パウロ2世がローマ法王時代であったし、列強から搾取され、戦禍に苦しみ続けたポーランド出身ということで、格別の思いがあった。かつて訪れたポーランドでは、観光バスの運転席のガラスに彼の写真が貼ってあったのを思い出す。彼は、悲しみの歴史を耐えてきた国の光であったのだ。

だいたい予測はできていたが、翌日、早くも私にも風邪の兆候が。早朝から微熱と下痢。午後、私が嘉櫻医院へ。
インフルエンザではなかったが、新年早々、我が家には風邪の嵐が吹き荒れた。
posted by マダム スン at 05:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 4人家族になって | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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