ゴマくんなどは日本語がぺらぺらで、留学時学校で知り合った日本人学生の紹介で知り合ったので、今なおその「友達の輪」があり、結束は固い。彼女はゴマくんが学んだ日本の国立大学の先輩にあたった。先に日本語学校へ通った関係で、実際は年長のゴマくんが大学では彼女の後輩になっていたらしい。
私の一回目の台湾留学でできた、アメリカ人男子留学生を加えた4人の輪は、今想っても胸がきゅんとするほど純で、まさに青春映画を地で行くものがある。
思えば15年を経た今年、4人をモデルにしたあの当時を360枚の小説に仕上げた。ずっと描きたいと構想を練っていた忘れえぬ物語。記念碑にしたい。
さて、私の出産疲れは依然身体にまとわりついていたが、ついに退院の日がやって来た。
陳医師突然の退職で慌てたが、謝医師は懇切丁寧で腕も良く、何ら不足を感じなかった。
すっかり顔馴染みになった外来の看護師さんや産褥期ケアセンターのスタッフにも重々お礼を述べ、珂産婦人科を後にした。
1月13日以来の我が家。
引越したのがわかるのか、メイは夕方4:00頃まで泣いていた。
しかし、そんなのは序の口であった。メイとランは姉妹ながら、まったく別個の人間だとその夜から思い知らされることになったのだ。