義弟の子供たちが夕方小学校や幼稚園の後やって来て、両親が迎えに来るのを義母宅で待つくらいで、基本的に義母はこれと言って仕事はなく、3番目の孫娘を預かりたがった。
子守りは疲れるが、私はすすんでランを預けたいとは思わなかったものの、義母の張り合いと私の休息のために、とリーが勧めたので仕方なかった。
真夏の台北は暑い。
日本の夏も湿度が高く厳しいが、やはり四六時中暑い台湾よりは過ごしやすい。
台湾には「熱帯夜」という言葉がない。言ってみれば、毎晩熱帯夜だから、あえて形容しなくてもいいのだろう。昼と夜の気温差が小さく、就寝する時間になっても室内が31〜32度あるのは当たり前で、たまに30度を切ると、とても涼しく感じる。
8月下旬、酷暑は続き、冷戦も然りだった。
性格的なこと、習慣や文化の違いが原因になることは多かったし、またしても私がひとりっこで、日本の実家や年老いて行く両親をどうするかでリーと白熱した議論になることも時々あった。
リーは責任感が強く、またその種のプレッシャーに弱いので、私よりも先に将来を心配する傾向があった。
衝突は増え、私はたびたび思い悩むあまり安眠できず、この先どうしたものかと真剣に考えることもしばしばだった。
もちろん、何とか努力、創意工夫、気持ちを入れ替え、仲良くやっていかねばと試みた。
とうとう羊水検査の結果が出た。
約2週間後、病院から結果が電話で知らされることになっていた。
9月3日、その電話を受けたのはリーだった。