私は施策を考えながら過ごした。当時、日記には毎日「受けたくない、いやだ」と書いている。何とか逃れることはできないのか・・・
7月15日は義父が亡くなって100日目にあたり、それを大きな区切りとするようで、リーたちは休暇をとり、家族全員、車2台で墓地へ行った。義父は軍人だったため、五指山山頂にある国が所有管理する墓地で眠っていた。台湾には徴兵制度があり、そこを訪れると、必ず兵役中の若い兵士が交代で守衛を務めていた。
ランを毎日行水させても汗疹に悩まされる猛暑が続いていたが、山頂は寒いほどに涼しかった。私は上着を羽織り、義母たちの指示に従い義父に手を合わせた。
翌日は早朝からリーの車で外交部へ行く。ビザ期限切れ事件には後日談があった。
沖縄から戻り、その足で外交部へ行ったわけだが、あれはビザを申請したのみで、10日後の16日、ようやくビザが下りることになっていたのだ。申請受理の時点でほぼOKなのだが、やはり無事下りたというので肩の荷が軽くなる。
次に、そのビザを手に、地域の警察本局へ行き、居留証を申請。一週間で交付される。
その頃、再び羊水検査の件でリーと対立。
22日ランに記念すべき一つ目の歯が生えていることを発見し感動するが、警察局に居留証を取りに行く翌日は、、、、、