リーはあの半年を悔やむ。のちに私が体調を崩し、自宅から遠くなく個人医院より大きいその病院に行ってみようか相談すると、彼は義父のことを持ち出し、NOと言うのはその所以だった。
ガンを発見した病院、すなわち義父が入院しているのがそこなのだが、余命半年と診断されたものの、それは良い方に裏切って義父はいわば病と共存していた。なんとかもっと元気でいたい、いてもらいたいと始めた新薬が合わなかったのである。
義父の容貌の変わりようを、もしかしたらリーより私の方が悲観的に見ていたのかもしれない。マイカーハネムーン構想にリーは積極的で義父の「行っておいで」をそのまま受け取り、道路地図を食い入るように見てプランを立て、それがほぼ完成すると、ネットと電話を使って宿の予約をした。今どき、だいたいがホームページを持っており、そこを開いてはリーは私に「ここはどう?」などと訊いた。私は何を訊かれても、はいはい、と同意した。リーは台湾東部の花蓮縣と台東縣行きと決め、宿はかなりグレードの高いところを選んだ。
私にとっては未踏の地だったし、リーも私同様倹約家だったので、彼の判断に任せておけばよいと思っていた。
こうしてランを連れてのマイカーハネムーンは、3月下旬、5泊6日の旅程で決行されることになった。