彼らにすれば、一人っ子の私が再婚して家庭を持ち、ようやく母親にもなり、ひとまず安堵しただろうし、ランは待望の初孫なのだから飛んで来たい気持ちも十分察せられた。
訪台の日程はと訊くと、12月11〜14日だという。
私は、たった三泊四日でいいの? せっかく来るのにもっとゆっくりすればいいのに、といぶかったが、社会活動(?)に多忙で、それが限界だし、ひと目ランを見て、抱っこできればいいと言う。
本人たちがそう言うのなら、私に異論はなかった。
台北の我が家は16階建てマンションの11階にある。
なんとか工夫すれば、両親が泊まれるくらいのスペースはあるが、彼ら自身、気兼ねなくゆったり休息したいので、どこか宿を取ってくれと言って来た。
私はリーと相談して、リーの会社近くにある、うちから車で5分とかからないホテルを予約した。予約や送迎はすべてリーがしてくれて、宿泊料を払うという両親を制した。
その年、台湾は記録的に寒い冬だった。両親がやって来た期間もちょうど寒気が襲来し、ランと両親のために、通常冷房しかほとんど使用したためしがないエアコンを常時つけ、暖めた。ランは一ヶ月半、マルコメちゃんスマイルで日本の祖父母を喜ばせた。
台湾で15度をきると相当寒く感じ、めったに10度を下回らない。
しかし、あの時は7度くらいまで下がり、雨がち、空もどんよりで寒々としていた。
父と母は、言葉も通じないし、買物も必要なく、ランを見ていればそれでうれしいと言ってくれた。外食したくても、こう寒いとランを連れ出す気も萎えた。
リーはビデオカメラを構え、父は時折カメラのシャッターを押し、極寒の三泊四日は静かに過ぎた。
その後ほどなくして、ある相変わらず寒い日、思いも寄らぬ厳冬の弊害が襲って来た。