日本の知人友人たちに、里帰り出産しないのかとよく訊かれたが、リーが承知しないだろうし、後先の移動のことなどを考えるとその気も萎えた。中国語で苦労することは当時すでに少なくなっていたし、珂産婦人科や主治医の陳医師を信頼していたので、逆に他の医師に子供を取り出してもらう方が怖い気がした。
陳医師は院長に次ぐ地位にあるベテラン医師で、終始ニコニコ明るく、時々「これ、日本語で何て言うんだっけ?」と質問してくる人だった。定期検診後のリーの「指導」にビクビクするなか、陳医師の朗らかな声と笑顔は救いであった。
定期検診は毎回電話予約できて、長い待ち時間にうんざりすることはなかったが、待合室で座っていると、診察室から陳医師が飛び出してきて、受付の前を小走りに横切りエレベーターに飛び乗り、なかなか戻って来ないことはあった。お産だ。台湾は日本ほど産婦人科医や小児科医不足が深刻ではないが、夜も昼もない産婦人科医の任務が重いことは容易に見て取れた。
小さいとさんざん指摘されたお腹もそれなりに膨らみ、足も象のそれのように腫れ、靴が履きにくくなったり、眠りも浅くなってきた。
リーとの諍いはそれでも起こり、夜マンションを飛び出したこともあった。どこかへ行きたい、日本へ帰りたい。
でも、身体の自由が利かず、せいぜい思い切り泣いて、その場をしのぐことくらいしかできなかった。
「うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川、、、、、、」
潤んだ目で星のない台北の空を見上げ、この曲をよく口ずさんだ。