2009年02月08日

産婦人科へ急げ!

立っているのも苦痛なほどにお腹も腰もズキズキ痛んだ。
座席位置の高い黒のパジェロに這い上がり、後部座席からリーの運転や道路状況を見る私は不安でたまらなかった。パジェロはリー憧れの車で、結婚し、子供も生まれるというのでようやくその春手に入れたばかりの愛車だった。

珂産婦人科までは渋滞しなければ車で約10分ほど。その夜も、近くてよかったあ、と大いに実感した。思えば、ついさっき来たばかりの馴染みある界隈に戻ったのだ。
リーと私は正門向かって右横の通用口みたいな小さな扉から中に入り、エレベーターで3階へ上がる。さすがに産婦人科、中は明々として夜勤で詰めている看護士が数人いた。
そのうちの一人に、私はいわゆる「お産着」みたいな薄手のガウンのようなものに着替えるよう言われて、痛みをこらえ身支度した。
そして、分娩室にいちばん近いベッドに横になり、リーとともに看護士の指示を仰いだ。ベッド右横には何かの値を計り、示すテレビのような装置が持って来られ、看護士は数分おきにやって来てはゴム手袋をキューキューとはめ、子宮口がどれくらい開いているかチェックした。最初はこのチェックが痛くて閉口したが、お腹や腰の痛みがさらに増したせいか、だんだん耐えられるようになった。
「あの、陳医師は、、、、」
「もう連絡しました。もうすぐ来ますよ。」
ホッ。
「あの、、、だいたいいつ頃生まれますか?」
これはまぎれもなく陣痛だったのだ。
「さあ、5時頃かなあ」
は? 5時? 
看護士が言う5時は、もう数時間後のことだった。
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2009年02月07日

これが陣痛?

私は、すぐには覚めない頭でベッドに横たわっていた。リビングからは灯りが洩れ、リーがまだテレビを見ていることがわかる。時計を見ると午前1時過ぎ。お腹には激痛が走る。あまり経験したことがない類いの痛みで、どう対処すべきか考えた。下痢をしそうにもあったので、隣りのトイレにフラフラと駆け込む。
だが、下痢はせず、痛みだけが残る。そして、オリモノのようなものが出て、拭くとピンク色をしている。? もしかして、これが「おしるし」というもの?意識がはっきりし、だんだん混乱して来る。
私は痛いお腹を抱えながらリーのところへ行き、事情を説明する。
「これ、お産の兆候じゃない?おしるしっていうやつ、本で読んだことあるの。すごくお腹痛いし、、、、、ねえ、病院行った方がいいんじゃないかなあ。」
彼も困惑した表情で、
「でも、予定日までまだだいぶあるよ。」
と言いつつ、妊娠出産に関する本を出し、読み始めた。私も日本語の冊子を開き、読む。夜中に2人で何をやってるんだか、、、、、
そうこういしているうちにも、私の腹痛は勢いを増し、腰まで痛み出した。リーは本から目を離し、珂産婦人科へ電話をかける。
「痛みが10分おきくらいになったら来なさい、だって。」
は? 10分おき? そんな間隔などなかった。
「そんな間隔あるのかどうかわかんないよ、ずっと痛いもん、すっごく痛いもん。」
じゃあ病院へ行こう、ということになり、私はお腹と腰の激痛に耐えつつ簡単に上着を羽織り、リーは私の入院グッズ一式バッグを抱え、地下駐車場へのエレベーターに乗った。
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2009年02月06日

歩き疲れた夜

「歩いてもすぐだよ。」というリーの言葉を信じ、手を引かれる格好でトコトコ歩いた。
夜市に着くと、昼間のように明るく、週末でもないのに夕飯やショッピングに集まる人の波、人の山。私も1〜2度来たことがある夜市で、その気もないのにあまりの安さについつい洋服を見たくなる。
リーには馴染み深い場所らしく、目当ての美味めがけて一直線だった。「台湾小吃」がいっぱいなのだ。これは、台湾に古くからある定番メニューで、牡蠣入り卵焼き、包子、大腸麺線、臭豆腐などなど、屋台が軒を連ねていた。

空腹だったリーが満足するのを待ち、また車まで帰らねばならないと思うと泣きたくなった。私が速く歩けないせいもあるだろうが、往復一時間はかかった。妊娠中は一貫して極度に疲れやすく、夜は一日の疲れがどっとたまるのでふだんならお休みモードに入っている時間でもあった。
帰宅後シャワーを浴び、もらって来た塗り薬を無残にひび割れたお腹にたっぷりと塗る。見た目はとにかく、オソロシイ痒みにだけでも即効を願った。
そして、いつもより遅く11時過ぎにようやく就寝。くたくただった。リーは私と逆の夜型人間で、1時や2時まで起きていることが常だった。
疲れてすぐ眠りに落ちた私だったが、お腹に衝撃を受け、目が覚める。膨らんだお腹から「ポッ」というような音が聞こえたように感じ、ほどなくして強烈な痛みがやって来た。
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2009年02月05日

皮膚科受診

多湿な台湾も、一年にしばらくは空気がカラッと乾いて「台湾じゃないみたい」な爽やかなお天気に恵まれる。それは春と秋のごく短い時間で、とても気持ちがよい。
そのせいかもしれないし、まったく関係ないかもしれないが、ポンポンに膨らんだ私のお腹の皮膚がひび割れて、乾燥し、我慢しがたいほど痒くなってきた。痒みは尋常でなく、お腹だけ模様入りになり、見た目も異様だった。
リーが見かねて、皮膚科へ行った方がいいと言う。だんだん私も、放っておいたらそのうち治る、とのんきではいられないほどつらくなってきたため、夕方リーの会社が引けるのを待ち、夕方2人で出かけた。珂産婦人科の数軒隣りに、いつ見ても患者であふれている評判の良い皮膚科があったことを思い出し、そこを初受診することにする。

その日も案の定、その皮膚科はにぎわっていた。よく見ると、3名の医師が診察にあたっている。受付女史に訊くと、第三診察室の女医さんが一番早く診てもらえるということだった。
患者たちはそれぞれ主治医や、目当ての医師がいるようで、いちばん奥の診察室に陣取る女医はとても若く、抱える患者もまだ少ないようだった。
私とリーはその女医を選び、思いのほか早く診察を受けることができた。「予定日はいつ?」などと、うら若き女医はやさしい笑顔で話しかけてくる。私のお腹の皮膚は見た感じ重症だが、病的には心配ないと、塗り薬を処方してくれた。
皮膚科を出るとすっかり夜になっており、「この近くに夜市が立つから、歩いて何か食べに行こう」というリーの提案に促され、私は歩きにくさに耐えつつ、彼に従った。
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2009年02月04日

悲しい時はこの曲

不思議と外国で出産することには不安はなかった。
日本の知人友人たちに、里帰り出産しないのかとよく訊かれたが、リーが承知しないだろうし、後先の移動のことなどを考えるとその気も萎えた。中国語で苦労することは当時すでに少なくなっていたし、珂産婦人科や主治医の陳医師を信頼していたので、逆に他の医師に子供を取り出してもらう方が怖い気がした。
陳医師は院長に次ぐ地位にあるベテラン医師で、終始ニコニコ明るく、時々「これ、日本語で何て言うんだっけ?」と質問してくる人だった。定期検診後のリーの「指導」にビクビクするなか、陳医師の朗らかな声と笑顔は救いであった。
定期検診は毎回電話予約できて、長い待ち時間にうんざりすることはなかったが、待合室で座っていると、診察室から陳医師が飛び出してきて、受付の前を小走りに横切りエレベーターに飛び乗り、なかなか戻って来ないことはあった。お産だ。台湾は日本ほど産婦人科医や小児科医不足が深刻ではないが、夜も昼もない産婦人科医の任務が重いことは容易に見て取れた。

小さいとさんざん指摘されたお腹もそれなりに膨らみ、足も象のそれのように腫れ、靴が履きにくくなったり、眠りも浅くなってきた。
リーとの諍いはそれでも起こり、夜マンションを飛び出したこともあった。どこかへ行きたい、日本へ帰りたい。
でも、身体の自由が利かず、せいぜい思い切り泣いて、その場をしのぐことくらいしかできなかった。
「うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川、、、、、、」
潤んだ目で星のない台北の空を見上げ、この曲をよく口ずさんだ。
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2009年02月03日

高くなる空

秋が来た、と実感したのは、リーと外食に出たある週末の昼だった。
和食が食べたくなったとこぼすと、日本でも名の知れた居酒屋チェーン店が台湾にも進出しており、その支店に連れて行ってくれた日だった。
日本食は高いからやめとく、とやっぱり断わったが、彼は、めったに行かないのだし、そこは高くないから行ってみようと言う。
結果は、ほとんど「もどき」止まりの、日本人には子供だましに遭ったようなお粗末さだったが、「もう来なくてよい」と知るのも収穫だと割り切った。
その店を出て、リーと並んで歩いている時だった。すでに灼熱の太陽は隠居し、日差しが心地好く感じられた。
そして、何かこれまでとちがう。ちがう、、、、、どこかちがう、、
頭をひねりながら歩いていると、あっ! 空が高くなってる!と気づいた。本当に景色が根こそぎ変わっていた。南国台湾でも、秋には空が高くなるのだと、その時初めて思った。

出産に向けての身体の変化や諸々の準備を説明したガイドブックを何度も読んだ。初めての出産で不安だったが、お腹に子供が宿った以上、産むしかない。なんとかなるさ、と腹はくくっていた。
そのガイドブックによると、そろそろ入院準備を整えてよい時期だった。チェックリストに従って、私は赤ちゃんと自分にまず必要になる衣服などを揃えて、「その時これさえ持ち出せば大丈夫バッグ」をこしらえた。
妊娠前の体重から約10kg増。胎児は依然小さめで、リーも義母も食べよ太れとうるさかった。日本では、妊婦の体重増加を厳しく管理し、太ればいいもんでもない、という考えが浸透してきているが、台湾はその点原始的信仰とも言える体重重視主義が根強くあった。
posted by マダム スン at 05:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾の家庭に嫁ぐ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月02日

ラブラブ新婚期よ、何処へ、、、、、

よく考えてみれば、当時はまだいわゆる「新婚ホヤホヤ」期にあったわけだが、短い香港時代に漂っていたようなアツアツ感というかラブラブ感はすでに微塵もなく、過去のものとなっていたように思う。
悪阻の仕業で匂いに過敏になり、煙草や汗、男性独特のそれが混じったリーの体臭が我慢しがたく、接近するのが苦痛になっていたし、胎児のことや私の諸々の言動で彼に文句を言われることが珍しくなくなってきていた。
日本と台湾それぞれ異なったところで生まれ育ち、私はひとりっこ、彼は姉と弟の3人きょうだいで、家族の結束も強く、何かというと彼は家族単位で動くことを考える。大人数でいるのが苦手な私は、うちだけでどこかへ出かけたい時もあるのだが、リーはまず誰か他に一緒に行かないか問うてみる人だったし、土日と週末2日間ともに実家へ帰り、夕食を共にしたがった。
私がそれらを渋ると、彼はひどく不機嫌になった。休日2日間のうち一日くらい「実家以外」の選択をしてもいいではないかと思うのだが、「君が帰りたくなければ強制はしないよ。」と明らかに不服そうに言われ、協調性がないと咎められた。
私も観念し、素直にリーに従えばいいものができず、口論は日常茶飯事化。言い出したら止まらず、口が達者なリーとは衝突を避けるのが難しく、ケンカのたびに私は義母に電話したり、妊婦の足で20分ほどの義母宅を訪ね、話を聞いてもらった。
リーは家族に対して気性が荒かった。
リーのそういう性質を義母もよく知り、「あの子は口は悪いけど、悪気なんてないのよ。適当に聞き流してりゃいいの。」などと理解し、なだめてくれるのがありがたかった。
posted by マダム スン at 04:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾の家庭に嫁ぐ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月01日

アボガドジュースの呪縛

お腹の子が標準より大き目くらいで成長していれば事なきを得たことではあった。
私自身や日本の両親などは、小さ目でも生まれてから元気で大きくなれば十分、と考えたものだ。
だが、リーはサイズにとてもこだわり、知人などから聞いてきた「胎児を速く大きくする食べ物」を私に勧めた。なかでもいちばん印象に残っているのは、アボガドジュースである。
種類が日本で見るのと異なるのだろう、台湾のは鮮やかな深緑色をしていて、大人の手のひらから優にはみ出すビッグアボガド。それと、牛乳やら砂糖を加え、ミキサーにかけて作るらしい。味も食感もドロッと濃厚だった。
これは、当時これまた妊娠中だった近所に住むリーの従妹がその母親から飲まされていたジュースで、かつて飲んでいた妊婦も胎児も立派に育ったという伝説があった。その従妹はそれを嫌ったが、何でも母親に強制的に飲まされるらしく、そのおかげか、彼女もお腹の子もふくよかだった。
私もアボガドジュースが苦手であった。味は悪くないのだが、たくさん飲むのは苦しかった。その叔母が手作りのそれを2ℓのペットボトルに詰めて持って来てくれたり、リー自らが腕まくりして作るのだから泣きたくなった。
posted by マダム スン at 05:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾の家庭に嫁ぐ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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