自問自答が終始続いた。もし、本当に異常がわかればどうする?
何度も問うた。そして、答えは常に「それでも産みたい」だった。いや、あきらめる気には到底ならなかった。それに、確かなことは、健康な子でなくても、この子への愛情は変わらぬどころか、さらに増すようにさえ感じられたことだった。
自分の本意、本心さえわかれば、腹は据わった。いざとなったら、それなりの手段で抵抗し、意志を貫く決意をした。
日本で言う夏が一年の半分ほどを占める台湾でも、やはり7〜8月の暑さは格別で、私は朦朧としながら毎日を送った。悪阻は休みなく身体にのしかかり、私の行動を制約する。
また、私は生まれつき骨細というか華奢(きゃしゃ)な体型で、太りにくい体質なのだが、妊娠中よく食べてるなあ、と思うものの、お腹の子が平均より小さいと定期検診のたびに指摘されるのもプレッシャーのひとつだった。小さめでも、元気に育っているならいいや、と私は思う。だが、リーが許さないのである。「君がもっと食べないからだ。」、「毎日いったい何食べてるんだ。」、「もっと00を食べろ。いいね。」などと厳しかった。
あまりにリーが、私がまったく努力していないように揶揄するのがたまらなくなり反論、そして衝突することがだんだん増えて行った。
緊張極まりなかった羊水検査結果はシロ、異常なしで一件落着となったが、リーとの諍い(いさかい)は減るどころか、恒常化の兆しを見せていた。