どの産婦人科に通い、出産するか、その時点で決められず、とりあえず妊娠と胎児の状態を確認できればいいからと、リーが自宅から近い市立病院を選んだのだ。
悪阻で鉛が入ったように重い身体を動かすのが苦痛で仕方ないというのに、産婦人科は広い病院内の2階の奥の方に位置していた。診察してくれたのは黄という60歳前後の男性医師だった。祖母が日本人に嫁いだか何かで、非常に日本びいきの陽気な人だった。
「ここ、見える?心臓、動いてるでしょ。着床の位置もいいし、順調。」
黄医師の張りのある声に、超音波器の画面に食い入って見るリーと私は涙ぐむほど感激していた。よかった。本当にお腹の中でいのちが生きているのだ。
翌日からが大変だった。リーは役所に婚姻届を出し、私が台湾人の配偶者として認定されるよう諸々の手続を始めた。しかし、想像以上に厄介な現実を知らされた。日本の戸籍謄本のコピーを両親に郵送してもらって済むようなものではなく、私本人が帰国して集めねばならない書類が要求されたのだ。
リーは再び香港に戻り、執務にあたる。私は誰かがそばにいて世話をしてくれないと日常生活にも支障をきたす重症な悪阻、、、、、
そこで、私は何ヶ月間か日本に帰り、実家で養生することになった。