それでも27階の窓外に広がる映像でも見慣れた香港の風景は、しゃれた映画のシーンのように美しかった。夜景も然りで、私は何度も窓辺により、それを眺めた。
23歳だったか、一度香港へは旅行で来たことがあったが、ほんの数日間のこと。街に出て探検したい気持ちは山々、動けぬ身体が恨めしかった。自分の体調が悪いだけでなく、当時はSARSが香港を中心に大流行し始めた頃。アメリカがイラクへ攻め入ったあの年だった。
まだSARSという病気の正体をはっきり知らなかったゆえ、案外のんびりしていたが、リーはいくらか心配していた。私の症状がその疾患に似ていたからだ。
そのマンションや光熱費に電話代も会社が負担してくれていたので、電話を日本の実家へかけやすいのには助かった。一軒目の医師が「ヤブ」だったことを嘆く近況報告をした時だった。母がこう言うのだ。
「あんたそれ、おめでたじゃない?」
は?
「いや、そのせいもあるんじゃないの?」
まさか。
「調べてみた方がいいわ、念のため。」
母にしては鋭い角度からの推察だった。まさかと思いつつも、そう言われれば気になってきた。それなら薬にも気をつけねばならないからだ。
リーが会社から「他の医院を教えてもらったよ。小児科専門だが、気管系もいいところらしい。同僚が予約を取ってくれたから、お昼前会社までおいで、一緒に行こう。」
と電話が入った。