時々起き上がれないほどに沈みながらも、私は休まず授業に出て、テストでは良い点を採り、働き、収入を得て、生計を立てた。
学校も会社も完全週休二日制だったが、そのうち私は休日が嫌いになった。どこへも行かなくてよい、という自由をかえって寂しく感じた。どこに身を置いても根本的な解決に至らず、容赦なく涙はこぼれたが、それなら勝手の知れた場所で、やるべきことが待っている方が気が紛れた。
そういう事情もあり、中国語の上達に比例するように落ちる英会話力を憂い、英会話学校へ通うことに決めた。台湾は日本に劣らぬ英語教育に熱心なところで、社会人が学べる場は豊富にあった。
私はしばらくいくつかの候補校の資料を吟味し、教室数が多く、どの教室でもレッスンが受けられる大手英会話学校に通うことにした。ひとクラスの生徒数が多く、先生と直接会話できるチャンスが少ないという難点はあったが、英語力が退歩して、しゃべるのが苦痛になっていた私にとっては、それくらいでも許容可能であった。
英会話学校へは週末を中心に通った。身体が許せば、平日の夜にレッスンを受けることもあった。