ひとりに戻った私は、再び台湾へ飛んだ。台湾でまた中国語を学ぶ、これを果たさずには、何も前に進まないと思った。
最初の留学から7年の月日が流れていた。私は母校に舞い戻り、中国現代小説や新聞購読などのクラスを専攻した。言葉の面では不自由することは減り、馴染んだ台北では暮らしやすく、大気汚染や水道水の汚れは改善し、停電もなくなっていたが、「留学生」に徹していればよかった前回の留学とは心持ちが大きく異なった。ひとりで食べて行かなくては、真に自立せねば、との思いが強く芽生えていた。
しかし、とても幸運なことに、元大家さんだった夫婦が東京に移り住んでおり、ご主人の方が自分が勤める会社の台北本社に就職面接のセッティングをしてくれたのだった。
その会社の業種から言うと、私は明らかにキャリア不足だったが、どういうわけか採用され、渡台後約一ヶ月で、私は留学生兼OLとなり、収入を得られるようになった。そして、ありがたいことに、その給料で学費、家賃、生活費すべてをまかなうことができ、日本にある貯金をまったく遣わず暮らせるようになった。
こうして、午前中は学校で中国語を勉強し、正午過ぎ会社に到着し、6〜7時頃まで仕事をする生活が始まった。