2008年11月09日

台北の冬は寒い

台湾の気候は、北部が亜熱帯、南部は熱帯に属す。台北は北部に位置する首都で、だいたい5月頃から日本で言う夏の気温になり、その暑さは11月頃まで続く。春夏秋冬の観念があるものの、日本人からすれば、それは至極曖昧な区分であり、その境界線も滲んだように鮮明でない。
冬は確かに来る。台北にしか住んだことはないが、20度を切るととても肌寒く感じるようになり、15度を下回れば気象庁は低温注意を呼びかける。よって、真冬でも10度以下になることは稀で、なればそれはそれは極寒の域だ。
もともと暑い土地のため、一般家庭には十分な暖房設備がないことも珍しくない。日本でならとっくにストーブを焚いたり、こたつに入るくらいの気温でも、我慢していっときを乗り切ろうという感じだったから、寒がりの私には台湾の冬がひどく厳しく思えた。
その上、あの当時は時々急に停電した。シャワーを浴び、さあ、ドライヤーを使おうと思った矢先に電気が切れる。寒い。涙も出ないくらいわびしかった。
よく体調を壊した理由は、そんなところにもあったに違いない。
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2008年11月08日

水土不服

中国語が私と似たようなレベルでも、アルバイトをする学生はたくさんいた。各自の母国語を活かしてできる仕事が台北には結構あるということだった。
だが、私は留学期間を一年ほどと設定していたし、何よりも中国語を少しでも多く学び、吸収したいと考えていたので仕事のことは考えず、とにかく真面目に勉強した。
中国語に「水土不服」という言葉がある。当時、私はまさにその状態だった。と思う。「水土不服」は、いわゆる水が合わなくて身体をこわす、のような意味だ。
あの頃の台北は、正直言って汚かった。まず、空気が悪かった。排ガス規制が緩かったのだろう、晴天が続くとなんだか大気が茶色っぽく見えて、まとまった雨が上がると、その汚れが浄化されたことが容易に見て取れた。
水道水もひどかった。常にではないものの、見るからに茶色い水が蛇口から出てくることはよくあった。生水は飲めず、どの家庭でも煮沸してから飲用としていたが、それでも気持ち悪くミネラルウォーターを買っていた。
そういう原因だけではないかもしれないが、私はたびたび風邪をひき、胃腸を壊し、自律神経失調症のような病名をつけにくくも深刻な症状を発症し、何度となくベッドに臥せって勉強した記憶がある。
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2008年11月07日

不便な暮らし

授業は一日2時間だけだったが、5〜10人の少人数クラスで、先生の教え方も洗練していて、効率がよかった。宿題は毎日、テストも定期的にあり、私はすべてに真面目に取り組んだ。そして、どんどんわかる単語や言い回し、決まり文句に構文などが増えていくのを実感出来た。
だが、実際に現地の人たちと円滑な会話ができるかと言えば、そう簡単に行くわけではなく、肩身の狭い、不自由な暮らしが続いた。
最初困ったのは、バスだった。当時は、次がどこか車内アナウンスや掲示板があるわけでなく、窓外の景色を注視して、ここぞという時に下車予告ボタンを押す。それに、朝のラッシュ時は恐怖に近かった。
ボタンを押せたのはよいにせよ、ギュウギュウに混んだ車内からドア
まで進み、降りるのが骨折りモノで、現地の人は「下車!」(シャーチャー、降ります、の意味)ときれいな発音で叫び、事無きを得たが、私は自信のない発音で大声を出す勇気もなく、実にプレッシャー
とストレスを感じる日々だった。 
買物に行って、店員さんに何か訊ねたくても、文章がうまく組み立てられなかったり、四声が曖昧であきらめたりするのはしょっちゅうで、あらかじめ想定できる時にはメモに書いて持ち歩いたりした。卑下せず、照れず、ぶつかればもっと速く上達したかもしれないが、初めのうちは引っ込み思案な自分に甘んじていた。 
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2008年11月06日

台湾へ

留学生を専門に預かり、中国語教育を施すその学校は、3ヶ月がワンタームで、書類診査に合格すれば中国語力が如何であっても入学できた。入学、卒業の時期が自由に決められ、一学期間3ヶ月だけ学ぶ人もいれば、数年通う人もいたし、高校卒業後すぐやって来る若者がいれば、孫がいたり、杖をついている学生もいた。
教師陣も然りで、ユニークと言えた。ただ、標準的で美しい中国語が話せることが大前提の絶対条件らしかった。
9月1日に始まる、いわば秋学期からの入学を許された私は、その約2週間前に新入生の登録会なるものが数日間あり、私はその最終日に間に合うよう8月18日日本を発った。
住処としたのは、父の知人に台北に住む友人がいて、その台湾人の老紳士の弟が所有するアパートの3階だった。学校からはバスで30分はかかる距離で、多くの留学生が学校付近に部屋を借りる現状に反したが、なにせ初めての海外生活で、言葉もままならない心許なさ、、、やはり知人が近くにいる安心感を得たく、そうしたのだった。バス通学も、慣れてしまえば苦ではなかった。
新入生登録日に簡単なクラス分けテストを受けたが、案の定、入門クラスに振り分けられた。数年間の独学など、発音が極めて難しい中国語にはまったく通用しなかった。ショックではなかった。言葉と言うものはそんなものだろうと思えた。
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2008年11月05日

留学へ一直線

涼しく快適な部屋に戻り、どうしたものかと何度も持ち帰ったお弁当を眺め思案したが、お腹は空くし、芳香を放ち、おいしそうな三寶飯の魅力に抗えず、腹痛もろもろ覚悟で食べることにした。
口に入れると、見た目に劣らぬ美味で、まだ惑う気持ちと裏腹に結局全部食べてしまった。旅先で体調を崩す不安は小さくはないが、どうしようもなかった。
あまり長くホテルで休んでいてはもったいないと、2時間ほどでまた外出することにした。ずっと気になったが、ついに炎天下の鶏はおとなしく私の胃と腸に収まり、取り越し苦労と美味の余韻だけを残した。
細々と続けていた中国語を恐る恐る使ってみたが、カタコトの日本語を話せる人が多く、会話はなんとか成立したので、私の中国語が通用するものか否かの判断は難しかった。ただ、総じて人々は親切でやさしく、食べ物はおいしく安く、明るい太陽と暖気に心身ともに和む台湾に大いに好感を持った。
ホテル近くの道路を歩いていた時だったと思う。いいなあ、台湾。こんな地で中国語を勉強してみたい。そうだ。よし、ここに来よう。ここで中国語を勉強しよう。そう思い、決めた。
決めると行動は速かった。日本に帰り、約半年後には、国立台湾師範大学にある国語教学中心から入学を許可する航空便が届いた。提出していた大学卒業証明書に成績証明書、2名の推薦書、預金残高証明書、健康診断書などの書類診査を通過し、9月からの授業に参加することを認められたのだった。
posted by マダム スン at 08:55| Comment(0) | 留学に向かって | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

3泊4日台北行き

10月も末だった。台湾へは、あるツアーに一人で申し込み、三泊四日台北滞在コースを選んだ。
主要な観光スポットへは、現地ガイドとバスが案内してくれたが、結構あるフリータイムも、一人黙々と歩き、あちこち巡った。日本なら秋色が濃くなる時季だったが、私が訪れた四日間はよく晴れ、日差しが強く、とても暑かった。あまりに暑いので、午後長く出歩くとつらく、面倒くさいと感じつつも疲れて一旦ホテルの部屋に涼みに帰ったりもした。冷房が利いた部屋で休んでちょうどよかった。
そんなに気温が高いのに、街を歩いていると、店先に丸鶏が何羽も吊り下げられている食堂はそこかしこにあった。
メニューを見ても、どんな料理か想像できないものが多く、まさか炎天下に吊られた鶏を使ったものには当たらないだろうと意を決し、注文してみた。私が少し迷っていると、店主が「これ、おいしいよ」と指差し、薦めてくれたのが三寶飯というもので、名前もいいし、それくださいと頼んだ。
三つの寶だもん、あの鶏はないだろうと高をくくったが、おじさんが速く慣れた手つきで、ぶら下がった鶏を使い込んだまな板に下ろし、ダッダッダッと骨もろとも切り裂いた時には血の気が引いた。
やっぱり要りませんとも言えず、お弁当にしてもらった三寶飯を提げて、沈む気持ちを持て余しながらホテルに帰った。
posted by マダム スン at 08:33| Comment(0) | 実家での迷い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月03日

実家で想う

神というものが本当にあるなら、どういう観点から、何を基点に私の定めに采配をふるっているかはわからないが、あの時私は、そういう力に支配される運命に失望はしなかった。そういう大きな力から見て、私に不要なものは与えられず、与えられるべきものは与えられるのだという、それまでになかった覚悟のような、畏敬すべき何かに委ねるような不思議な安寧を得るに至った。
田舎では、なかなかかつて通っていたような中国語教室はなく、まったく独学に頼るしかなかった。書き込み式テキストに指示通り書き込むだけの空しい学習状況だった。
大学時代、本当は大学院へ進みたかったが、父の反対や、それに勝てるだけの具体的な研究計画が私にも立てられず断念した経緯があった。そのせいか、もっとアカデミックな生活を送ることに未練が残ったままで、社会人が中国語を学べる制度を調べ始めた。
しかし、私を本気でそれへ駆り立てなかったものは、試験の難易より、そういう学校まで通うに必要な高額な交通費と3〜4時間に及ぶ通学時間だった。
英語講師の仕事は夕方から夜にかけてのみだったので、昼間は洋菓子店でアルバイトもしていた私は、かなり多忙な毎日を送っていたが、栄養補給のためにも、数日間休暇を取り、旅行に行くことにした。ホテル退職後、1年余り経った秋のことだった。取れる休みには限りがあり、2〜3泊でも楽しめるらしい台湾に初めて行くことに決めた。
posted by マダム スン at 10:37| Comment(0) | 実家での迷い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月02日

恋人との別れ

恋人との別れも、心が晴れない一つの要因だったと思う。ホテル時代の同期と交際して、結婚の約束まで交わしていたが、彼は長男、私は一人っ子、結局はこれが原因で別れざるを得なくなった。互いの家が、私たちを跡取りと考え、手放すことを拒んだからだ。彼が婿養子になってくれるよう試みたし、私も、親に背いてでも彼の家に嫁ごうかと幾度も考えたが、2人ともそこまで踏み切れず、別れを選んだ。
彼との連絡を絶った後もなかなか忘れることができず、何度こちらから電話をかけようかと迷ったかしれない。彼が遠路車をとばし、会いに来てくれないか、耳をすましたこともあった。
だが、そんな思いを徐々に振り切れたのは、まだ彼を深く愛しているから恋しく切ないのではなく、2人で過ごした時間や、楽しかった思い出が輝いて見えるからに過ぎないと、客観視できるようになったからだと思う。
もうダメなんだ。別々の道を歩く者同士だったんだ、と観念してからは、長いトンネルを抜け出たかのように、視野が開け、あらゆることに意欲的になっていった。努力しても叶わないこと、誠意があってもどうにもならないこと、願っても願っても聞き入れられないことがあるということを、初めて身をもって学び、人生との向き合い方を再考した。一見、悲観的に見えるこの悟りは、逆に、目に見えない運命とか宿命とか神の采配という強大な力が働いている事実を体感することとなった。
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2008年11月01日

就職、中国語教室、退職

2週間の研修最後の日、辞令を受け着任したのは、中華街もある中国人が比較的多く住む街だった。フロント勤務を命じられた私は、会社が用意してくれたワンルームマンションで暮らし、ホテルの業務に勤しみつつ、そこから徒歩でも通える距離で中国語教室を見つけ、週に一度、仕事が引けた後、初歩の初歩から中国語を学びに行った。
今から思えば不謹慎と言うか、もったいない話だが、一日立ち仕事をし、先輩社員に気を遣い、またお客様相手のサービス業ゆえ、心身ともに疲れて授業にのぞむことになり、不覚にも眠気に必死に抵抗することに終始することが多かった。
先生は日本で生まれ育った2世で、日本語は日本人と見紛うほど堪能、でもって初老のやさしい紳士で、私は自分の中国語が上達しない懸念よりも、その先生に対し、申し訳ない思いに苛まれたものだった。
その後、電車で片道30分ほどの他支店の内勤に移り、半年ほど勤めたが、どうしても将来にしっかりと続く道として、その職場を見据えられなくなり、悩んだが、ついに退職して実家に帰った。もちろん、中国語教室には通えなくなってしまった。
田舎とは言え、学習塾や家庭教師の需要くらいはある町だったので、私は英語の講師や家庭教師をして働いた。中国語の独学を細々と続け、かねてから力を入れたかった執筆にも時間を割いた。
忙しくはあった。英語を教えるのは楽しかったし、講師や家庭教師という肩書きも嫌ではなかった。
だが、予想外の早さで不便な田舎に舞い戻り、自分を引っ張り、鼓舞するような壮大な夢や目標に欠け、おおげさに表現するなら、かなり失意の中にあった。
posted by マダム スン at 15:14| Comment(0) | 社会人時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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