部屋を片付け、整理しては車にどっさり積み込み実家へ運ぶ作業は、当時していた珈琲店でのアルバイトと平行して行ったため、数週間もの時間を要した。時は2月。たびたび雪が舞う、一年で最も寒さの厳しい頃だった。
離婚が決まると、義母は手のひらを返したように態度が冷たくなり、最後の日、挨拶に行った時、義父は呼んでも中から出て来なかった。
健康を害しながら悩みに悩んだ結婚生活の幕を閉じることは、ある意味救いにも感じたが、つらく、重苦しく、傷つきもしたことは言うまでもなかった。
そんな中、再び台湾で勉強する願いが叶ったことは、私の細胞のレベルから生きる活力を与えてくれた。それを許してくれた両親にも心から感謝した。
暖かな台北の春の日差しを浴びていると、実際には依然変わらぬ跡取りとしての重責が消えてなくなったかのような解放感を味わった。そんな夢のような状態が長く続くわけがないことは重々承知していても、しばらくだけでも忘れさせてほしいと思ったし、そうしても赦されるような気がした。