2008年10月31日

はじまりは卒論?

アジアへの興味が高まってきたのは、大学に入ってからだった。最初は中国や台湾に限らず、ベトナム、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポールなど広域、とにかくアジアにロマンにも似た感情を抱くようになっていた。
大学3年生から国際関係論のゼミに学び、担当教授の専門は日米戦後政策だったが、太っ腹の彼は卒論に対する注文を言い渡す際、「世界中、どこのことを書いてもいいです。」と述べたのだ。ふだんと変わらぬ、人の良い柔らかい笑顔を湛えて。
しばらくは迷ったが、私は中国を書くことを決意した。最終的に絞ったテーマは「毛沢東と文化大革命」、サブタイトルは「中国にとって、彼は神であったか」である。
こう言うのは僭越だが、私は高校以降はまじめで、成績も悪くない学生だった。卒論も早くから準備を始め、興味あるテーマでもあり、コツコツ書き進めた。そして、卒論受付初日、一番に努力の結晶を提出したのだった。
その後だったろうか、今度はだんだん中国語を話したいという思いが
心を占めてきた。中国中央電視台のキャスターが話す中国語を聴くと、あー、私もあんなきれいな言葉を話してみたい、とうっとりするようにもなった。
思案の末、NHK学園の通信教育に申し込み、独学で始めることにした。まもなく大学を卒業し、就職が決まっていた某全国チェーンホテルの入社前研修に参加する頃のことだった。
posted by マダム スン at 15:24| Comment(0) | 中国語との出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月30日

本当に行くはずだったのは、、、

自分に理数系の思考回路が整備されていないと気づいたのは、小学校も低学年の頃だった。それで少なからず失望もしたが、作文や音楽、国語や社会の時間は大好きで、中学生になると、英語に興味を奪われた。少なくとも、そう、あの22歳頃までは、私は英語圏、特に欧米に近い世界に身を置く人間だと信じていた。
posted by マダム スン at 05:04| Comment(0) | 中国語との出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月29日

高校は英語コース

高校では英語強化コースに入り、大学は文学部英米文学科。初の海外渡航はアメリカ、3週間西海岸サノーゼという町でホームステイした。大学生の頃には、小さいが、地域の熱心な人たちが作ったような英会話教室に参加し、日常会話なら不自由しなかった英語力。なのに、卒業目前22歳の春、中国語を独学で始めてしまった。NHK学園の通信教育だった。あの頃は、香港が広東語圏だとは知らず、いつかジョン ローンに会うのだと、自分を奮起させるために、壮大な夢を胸に第一歩を踏み出した。
posted by マダム スン at 13:58| Comment(0) | 中国語との出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

マダム スンの台湾と日本の片隅で

世界21ヶ国を歩いて来たが、結婚するなら日本人だと思ってきたのに、なぜか中国人と台湾人の両親を持つ台北で生まれ育った男性と結婚してしまった。
posted by マダム スン at 13:26| Comment(0) | 中国語との出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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